艱難の始まりの備え

悪をなす者のゆえに、心を悩ますな。不義を行う者のゆえに、ねたみを起すな。 彼らはやがて草のように衰え、青菜のようにしおれるからである。 主に信頼して善を行え。そうすればあなたはこの国に住んで、安きを得る。 主によって喜びをなせ。主はあなたの心の願いをかなえられる。(詩篇...

使徒行伝 8章~最後まで

使徒行伝 8章~最後まで 聖書の基礎:聖書における必須の教義第6部B:教会論:教会の研究から「使徒行伝 章ごとの学び」の箇所の抜粋翻訳 8章~最後まで https://ichthys.com/6B-Ecclesio.htm#Acts_Chapter_by_Chapter ロバート・D・ルギンビル博士著...

使徒行伝 6章7章

使徒行伝 6章7章 聖書の基礎:聖書における必須の教義第6部B:教会論:教会の研究から「使徒行伝 章ごとの学び」の箇所の抜粋翻訳 6-7章 https://ichthys.com/6B-Ecclesio.htm#Acts_Chapter_by_Chapter ロバート・D・ルギンビル博士著...

使徒行伝 4章5章

使徒行伝 4章5章 聖書の基礎:聖書における必須の教義第6部B:教会論:教会の研究から「使徒行伝 章ごとの学び」の箇所の抜粋翻訳 4-5章 https://ichthys.com/6B-Ecclesio.htm#Acts_Chapter_by_Chapter ロバート・D・ルギンビル博士著 使徒行伝 4章-サンヒドリンでのペテロの説教の冒頭で、彼は「聖霊に満たされ」(使徒行伝4章4節)とありますが、これは艱難期(マタイ10章19-20節; マルコ13章11節;...

使徒行伝 1-3章

聖書の基礎:聖書における必須の教義第6部B:教会論:教会の研究から「使徒行伝 章ごとの学び」の箇所の抜粋翻訳 1-3章 https://ichthys.com/6B-Ecclesio.htm#Acts_Chapter_by_Chapter d. 使徒行伝 章ごとの学び...

使徒行伝の本質

聖書の基礎:聖書における必須の教義第6部B:教会論:教会の研究から「使徒行伝の本質」の箇所の抜粋翻訳 https://ichthys.com/6B-Ecclesio.htm#c._The_Nature_of_the_Book_of_Acts_ ロバート・D・ルギンビル博士著 c. 使徒行伝の本質...

キリストのうちに

なぜなら、わたしたちは皆、ユダヤ人もギリシヤ人も、奴隷も自由人も、一つの御霊によって、一つのからだとなるようにバプテスマを受け、そして皆一つの御霊を飲んだからである。(第一コリント12章13節)...

来たる艱難期 第三部A:艱難期の始まり

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荒野で

主の分はその民であって、ヤコブはその定められた嗣業である。 主はこれを荒野の地で見いだし、獣のほえる荒れ地で会い、これを巡り囲んでいたわり、目のひとみのように守られた。 わしがその巣のひなを呼び起し、その子の上に舞いかけり、その羽をひろげて彼らをのせ、そのつばさの上にこれを負うように、 主はただひとりで彼を導かれて、ほかの神々はあずからなかった。 主は彼に地の高き所を乗り通らせ、田畑の産物を食わせ、岩の中から蜜を吸わせ、堅い岩から油を吸わせ、...

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9月30日

砂漠のオアシス  二〇一四年八月十四日 ひとしずく一六四四 私はここ数日、道の駅で車中泊をしています。そして道の駅で車中泊するようになって気づいたことがあります。それは意外にも、車で夜を明かす人が多くいるということです。夜、駐車場に行くと、いつもほとんどの駐車スペースはいっぱいです。車のウィンドウから見える運転者の人達は、多くがその場所で泊まろうとしている人たちです。...

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9月28日

たとえ枯れようと 二〇一二年九月二十八日 ひとしずく九五〇  美しい花がしぼんでいくのを見て、何故花はしぼむのか?と疑問に思ったことがあります。どんなに美しく咲いても、半日ほどでしぼんでしまう花さえあります。  しかし、その美しい花がどんどん勢いを失い、完全にしぼんで枯れてしまっても、記憶の中に、その花の完璧な美しさがそのままの形で残っているのです。  そして、翌朝、または翌年、記憶通りに同じように完璧な形の美しい花を見ることになります。つまり、花の時期はとても短いものですが、その花の完璧な姿は、ずっと記憶に残っているのです。...

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9月26日

主によって力づけられる   ひとしずく一六二一  戦いの最中で、意気阻喪しそうに なった時に、もしかしたら、この話が助けになるかもしれません。これはダビデが、遠征に出ていた時、帰ってきたら、自分の家族、また全ての財産が略奪されていた時の聖書の話です。...

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9月25日

主の警告に耳を傾ける  二〇一四年 ひとしずく一六四七 先週起った広島の土砂崩れで、特に被害が激しかった安佐南区八木の旧名が、「蛇落地悪谷」(じゃらくじあしだに)であったという記事を読みました。なるほど、先人達は地名を通して、すでに警告を与えていたのだとわかりました。...

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9月24日

主の愛と御言葉の内に留まる 二〇一三年 ひとしずく一二六一   イエス様を死に定め、またその弟子やクリスチャンたちを迫害した人たちは、自分たちが正しいことをしている、また神に従っていると思っていた場合が多くありました。 人々はあなたがたを会堂から追い出すであろう。更にあなたがたを殺す者がみな、 それによって自分たちは神に仕えているのだと思う時が来るであろう。彼らがそのようなことをするのは、父をもわたしをも知らないからである。」 (ヨハネによる福音書十六章二、三節)...

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9月23日

新しい人  二〇一三年 ひとしずく一二二七 誰でもイエスキリストにあるならば、その人は新しく造られたのである。古いものは過ぎ去った、見よ全てが新しくなったのである。 (第二コリント人への手紙五章十七節)  この聖句を読んで、自分はイエス様を信じているけれども、本当に新しい人になったのだろうか?と疑問に思う人もいるかもしれません。あるいは、新しいスタートを切りたいと思っても、自分の古い癖に何度も陥ると、 その聖書の言葉は自分には当てはまらないようにさえ思えてくるかもしれません。  ...

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9月22日

弱者のために  二〇一四秋 ひとしずく一六四六   私の友人の息子さんが、うまく歩けない野良猫を見つけて、家に連れていったそうです。よく見ると、前足が曲がっていてしっかりと立つことができないでいたそうです。毛もあちこち抜けてしまっている状態で、動物病院の医師に診てもらったところ、何とその猫はエイズだとわかったそうです。彼らは驚いたと思いますが、エイズならなおさらて放り出すことはできない、と話をしているそうです。彼らの思いやりには、感動させられます。...

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