イエスを仰ぎ見つつ

イエスを仰ぎ見つつ

信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。彼は、自分の前におかれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、神の御座の右に座するに至ったのである。(ヘブル...

荷物のかたわらにとどまる人たち

十月四日 荷物のかたわらにとどまる人たち (ひとしずく六〇七)  ダビデは自分の主君イスラエルの王サウルの手を逃れていました。それは、サウルが国民の人気を集めているダビデによって自分の王位を失ってしまうことを恐れていたからでした。 ダビデはもはや逃げ場がなく、手勢わずかの軍と共にサウルの敵であるアキシ王(ペリシテの王)のところに身を寄せていまし た。  アキシ王及びペリシテの他の王たちは、イスラエル、つまりサウル王との戦いに、ダビデとその兵士を連れて行くことを許さなかったので、ダ...
静けさ

静けさ

 …主は答えて言われた、「マルタよ、マルタよ、あなたは多くのことに心を配って思いわずらっている。 しかし、無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである。マリヤはその良い方を選んだのだ。そしてそれは、彼女から取り去ってはならないものである」。(ルカ 10:38-42) 目標を目ざして走り、キリスト・イエスにおいて上に召して下さる神の賞与を得ようと努めているのである。(ピリピ...
人の尊厳

人の尊厳

神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。 (創世記1章27節)...