ダーク・トゥ・ライト

闇から光へ

「光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。」

(ヨハネの福音書1章5節)

9月18日

神の法則に生きるなら 二〇一二年九月十八日 ひとしずく九三九  土地のことで、争うということは古くからある問題です。聖書の創世記十三章にも、アブラハムの羊を飼う者達とロトの羊飼い達が場所の取り合いで争っていたことが記されています。...

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9月17日

弱さの内に発揮される神の力 二〇一四年 ひとしずく一六三三  よく私たちは、この状況さえ解決されたら、この意地悪な人さえいなければ、これさえあれば、またはこれさえなければ と考えます。人間誰でも、何らかの問題を抱えていると思います。...

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獣の支配と十字架の力

獣の支配と十字架の力

獣の支配と十字架の力 獣の力の下で、苦しむ多くの人達がいる。 獣の規制に沿って生きることのできない者は、失格者と呼ばれる。 しかし、社会不適合と言われている人の中には、 人々の危険な状態を告げ知らせる赤信号なのかもしれない その人というよりも、周り全体が何かおかしいのかもしれない その人の口を封じ、どこかに隔離してしまうことは 答えにはならない 何が反社会的なのか? 嘘をついて騙して人に毒ワクチンを打たせることこそ 反社会的ではないか? それは危ないよと隣の人に警告する者は、...

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9月16日

恐れに立ち向かう  二〇一二年九月十六日 ひとしずく九三七 母が以前から、うちの山について話してくれていました。何十年も前、村の所有していた山の税金の負担を軽減するために、分割して全戸に売ったそうです。いえ、全戸が強制的に購入させられたと言った方が正しいようです。 猫の額のように狭い分割された土地は、誰がどこの箇所を取るかということは、くじ引きで決められたそうです。...

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9月15日

天通道  二〇一二年九月十五日 ひとしずく九三六  「北通道」という石碑が、北海道を臨む青森県下北半島の北端に立っています。 これは北海道へ通じる道という意味なのでしょうか? きっと昔は、多くの人たちがここに立って、向こうの未知の土地を眺めていたことでしょう。目の前には津軽海峡が横たわり、もし移住を考えていたなら、きっとそれはとても大きな決心を要したことだろうと思います。 荷物も過去においては、大したものを向こうに持って行くこともできるわけではなかったでしょうから、まさしく着のみ着のままに近い状態での移動だったと想像されます。...

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9月14日

人としての本分  二〇一二年秋 ひとしずく九二六 神様に祈る人は少なくない。あれをして下さい、これを与えて下さいと。 祈ることは決して悪いことではない。 しかし、ただ自分側の願望を主に叶えてもらうためだけに祈り、 それが叶わないなら、主を疑ったり信じるのをやめてしまったり、 主がなさろうとしていることを受け入れたくなかったりといったふうでは ただ神様をいいように利用しているだけではないかと思う。 私も、信じるのをやめることこそないけれど、 しょっちゅうそうした態度に陥ってしまう。 私たちは思い出さねばならない...

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夜霧の山道で

夜霧の山道で

 先日、福島のある友人を訪ねるところでした。何度も訪ねていた友人だったので、私はただナビのスイッチを入れて、その指示に従っていたのです。もうすでに暗くなっていたので、いつもの標識などは見えませんでした。...

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9月13日

隠れた破壊パワー     「モア・パワー」 マーリン・キャロザース著からの抜粋  ひとしずく一二七五に掲載    批判的な精神は、いつも人をあて推量しようとします。「彼は『こう』言ったけど、本心は『ああ』だったんだ。彼はこのことを私に言ったけど、恐らく、 他の人には別のことを言っているんだろう。  裁きは何と厳しい重荷でしょうか!  裁きには、ある程度高慢という要素が入っています。私たちは、あまりに確信をもって「知っている」と言います。そして、その知識によって私たちは得意になるのです。...

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9月12日

我が家の移動教室  二〇一二年秋 ひとしずく九二五    今、子供たちは、毎日のように畑仕事に精を出し、おばあちゃんから色々なことを学んでいます。他の人たちにも自分たちの畑で採れた作物を分けてあげたいと、息子は、叔母から使ってもいいと言われた畑を、来年はさらに拡張したいというビジョンを持っています。...

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