異言について:

<聖霊の賜物である「異言」についてルギンビル博士の「来たる艱難期 第2部A: 七つの教会」から検索してみました。26頁下から二行目と 60頁最後の行に見つけました。それぞれ、前後の関連する文章を含めて紹介します。本をお持ちの方は、本の方からご覧になればいいと思います。異言や使徒が行っていた奇跡的な業が今ではほとんど見られないか、稀で、あってもちらほらであることについて、もう少し理解ができると思います。本全体、少なくともエペソ教会の部分、そしてラオデキヤ教会の部分は、参考、あるいは復習になると思います:>...
霊の戦い

霊の戦い

最後に言う。主にあって、その偉大な力によって、強くなりなさい。 悪魔の策略に対抗して立ちうるために、神の武具で身を固めなさい。 わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである。 それだから、悪しき日にあたって、よく抵抗し、完全に勝ち抜いて、堅く立ちうるために、神の武具を身につけなさい。 すなわち、立って真理の帯を腰にしめ、正義の胸当を胸につけ、 平和の福音の備えを足にはき、...
癒し

癒し

その血を取り、小羊を食する家の入口の二つの柱と、かもいにそれを塗らなければならない。(出エジプト記 12:7) その血はあなたがたのおる家々で、あなたがたのために、しるしとなり、わたしはその血を見て、あなたがたの所を過ぎ越すであろう。わたしがエジプトの国を撃つ時、災が臨んで、あなたがたを滅ぼすことはないであろう。(出エジプト記 12:13) その翌日、ヨハネはイエスが自分の方にこられるのを見て言った、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。(ヨハネによる福音書 1:29)...
イエスを仰ぎ見つつ

イエスを仰ぎ見つつ

信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。彼は、自分の前におかれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、神の御座の右に座するに至ったのである。(ヘブル...