天通道  二〇一二年九月十五日 ひとしずく九三六

 「北通道」という石碑が、北海道を臨む青森県下北半島の北端に立っています。

これは北海道へ通じる道という意味なのでしょうか? きっと昔は、多くの人たちがここに立って、向こうの未知の土地を眺めていたことでしょう。目の前には津軽海峡が横たわり、もし移住を考えていたなら、きっとそれはとても大きな決心を要したことだろうと思います。

荷物も過去においては、大したものを向こうに持って行くこともできるわけではなかったでしょうから、まさしく着のみ着のままに近い状態での移動だったと想像されます。

日本において移住の民族と言えばアイヌ族が思い出されます。アイヌ民族は、おおよそ十七世紀から十九世紀において、東北地方北部から北海道(蝦夷ヶ島)、サハリン(樺太)、千島列島に及ぶ広い範囲をアイヌモシリ(人間の住む大地)として先住していました。しかし、十九世紀の後半に、「北海道開拓」と呼ばれる大規模開発事業により、アイヌ民族は、一方的に土地を奪われ、強制的に日本国民とされました。日本政府とロシア政府の国境画定により、彼らの伝統的な領土は分割され、多くのアイヌ人が強制移住を経験しました。そして、深刻な差別をされてきたのです。川で魚を捕れば「密漁」とされ、山で木を切れば「盗伐」とされるなどして、彼らは先祖伝来の土地で民族として伝統的な生活を続けていくことができなくなったのです。

私の実家の秋田でも、昔はアイヌ語が少し使われていたというので、この辺りにもアイヌ人が住んでいたと思われます。しかし、ここからアイヌの人たちは、全てを捨てて、北海道に渡り、さらには北海道から樺太、千島へと移動しなければならなかったのでしょう。

海を渡るということは、それまで築いてきたものを全て後に残していくことを意味していたに違いありません。しかし、北海道中にアイヌ語の地名があることから、一時期は、彼らが他の者たち(日本人)に煩わされることなく、自由を享受できた時があったのでしょう。その時、彼らは、移動して勝ち取った自由と豊かさと、平和をきっと有難く思っていたことと思います。

しかし、そうした時期もつかの間で、再び、束縛と、抑圧と強制移住に苦しめられたのです。彼らはとても温厚な人々だったと言われています。

本当に、気の毒な民族です。しかし、インターネットでアイヌ族について調べていると、励ましになる記事を見つけました。千島にいたアイヌ族は日本、ロシアの権力闘争の犠牲となって消滅してしまったと書かれていましたが、彼らの中にはキリスト教徒がいたというのです。

誰かが彼らに福音を伝えたわけですが、彼らの中には神を信じていた人がいたのです。彼らを多くの試練が襲いましたが、彼らは聖書にあるように、この地上では自分たちは旅人であり寄留者であり、真の故郷は天にあることを思い、互いを慰め励まし合い、天の故郷を望みつつ、この地上での人生を卒業して行ったのだと思います。そう思うと、少し慰められたような気がします。

今、現代人は自らの手で造り出してしまったものによって、自らが絶滅しかねない危機に立たされています。魂もさまよっています。しかし、私たちは、かつてのアイヌ民族と同じように、この地上では旅人であり寄留者ではありますが、故郷がないわけではありません。魂の故郷が天にあるのです。

地上が混乱し、平和が失われても、心に待ち望む天の故郷を抱いていれば、希望を失うことはありません。神はそのような信仰を祝福してくださるでしょう。

キリストこそ、天に通じる道、「北通道」ならぬ、「天通道」です。私たちは、未知の世界であり、また故郷でもある天国に思いをはせ、希望を持って生きることができるのです。そして、この希望は決して失望に終わることはありません。

この世界大の危機において、救い主であられるイエス様に近く歩み続けることができますように。

イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。」(ヨハネによる福音書十四章六節)

これらの人はみな、信仰をいだいて死んだ。まだ約束のものは受けていなかったが、はるかにそれを望み見て喜び、そして、地上では旅人であり寄留者であることを、自ら言いあらわした。そう言いあらわすことによって、彼らがふるさとを求めていることを示している。もしその出てきた所のことを考えていたなら、帰る機会はあったであろう。

しかし実際、彼らが望んでいたのは、もっと良い、天にあるふるさとであった。だから神は、彼らの神と呼ばれても、それを恥とはされなかった。事実、神は彼らのために、都を用意されていたのである。

(ヘブル人への手紙十一章十三~十六節)