恐れに立ち向かう  二〇一二年九月十六日 ひとしずく九三七

母が以前から、うちの山について話してくれていました。何十年も前、村の所有していた山の税金の負担を軽減するために、分割して全戸に売ったそうです。いえ、全戸が強制的に購入させられたと言った方が正しいようです。 猫の額のように狭い分割された土地は、誰がどこの箇所を取るかということは、くじ引きで決められたそうです。

うちの土地は、母が言うには、裏の山の奥で、わずかの急斜面に植えられている杉の木は切り出しようもないし、斜面も老木が倒れるままになっているだろうとのことでした。母はもうそこには何年も行っていないそうです。母がそこに最後に山菜を採りに行った時、道の傍らの茂みから、動物のうなる声がして、すぐに引き返してきたそうです。山で一人の時、熊に襲われると、どうしようもありません。それ以来、母はそこには行かなくなったそうです。まして今は足が弱っているので、行くこともできずにいました。

実は私は、母が元気なうちに、一度その山に案内してもらいたいと思っていました。もちろん熊は恐ろしいですが、その山への興味の方が大きかったのです。

母に尋ねると、最近足の調子は良いということだったので、母と息子と私の3人で行くことにしました。できるだけ行ける所まで四駆の車で行き、道の雑草の背がかなり高くなっていて、車の引き返すだけの道幅も無くなってきた所で車を降り、そこから歩きました。 少し歩くと道はかなりのぬかるみになり、その先に道はありませんでした。私たちは、熊に出会うことがないように、音楽を鳴らすことにしました。携帯についているスピーカーから最大限の音を出して、また各自、持ち歩き用の蚊取り線香を腰にぶら下げて、煙の臭いで、熊を寄せ付けないようにしました。そして、もしもの場合に備えて、腰には鉈(なた)を下げ、手には棒を持ちました。

結局山の視察は、簡単に終わりました。とても狭い面積にわずかに植えられている杉の木。倒れたままになっている木々・・・。この倒れている木を少し切り取って持って行こうかとも思いましたが、どこまでがうちの土地なのかわからない状態だったので、今回は何もしないで帰ることにしました。何年も踏み入れていない林はうちの所だけではなさそうです。どこも木は倒れ腐るままにされています。確かにこれらの木を切り倒して搬出したら、山から降ろすだけで、木材以上の出費になりかねません。何十年も前、切り倒してもらった際に、支払ったお金が、その木材を売った価格と同じだったそうです。今は木材も売れないだろうし、手間賃はもっと高いだろうし、車も入って来ることができない、ただ、土地の税金を払うだけ・・・これが貧乏くじというものでしょう。

短い視察を終えて、私たちは帰ることにしました。しかし、帰り際、思いがけない収穫に出会いました。時期外れの瑞々しいミズという山菜がたくさん生い茂っていたのです。近所の人たちも、この辺りには山菜を採りにやってくる人もいないようで、山菜はもう誰からも採られないまま、大きく成長していたのでした。近所の人の多くがお年寄りで一人暮らし、それも熊が出るとあっては尚のこと、この辺りには入らないことでしょう。 私たちは、夢中になって山菜を採りました。熊除けのため「恐れてはならない」という歌を大きく流し続けながら。蚊取り線香もまだ大分残っていました。

息子は「たくさん採れたね。近所の人たちに分けることができるね」と大興奮。母も山菜を採り終わってから、「山はいいね」と言いました。久しぶりに山に入ることができて感激しているようでした。母は、近所のお年寄りの人たちがゲートボールなどをしていても、一人畑仕事をし続ける人です。そして母にとっては、山に行って山菜を採る事は、何よりの楽しみなのです。 私は久しぶりに母が自分の好きな山に入れたことが嬉しくなりました。

この辺りの山は、美しくその雄大さを眺めるというよりも、いつも身近にある山です。ある人が「山は身近にある方が好きだ」と言っていましたが、なるほど、身近にある山というのはいつでも気軽に登って、山菜を採ったり、木を切ったり、山の中にあるいくつもの神様の恵みを発見することができます。

今回も、山菜をたくさん採り神様の恵みに与って、車で山を下って行くと、陽の光を受けた木々の葉がとてもきれいに輝いていました。私は車を停めて、その写真を携帯のカメラに収めました。撮った写真を見たら、美しい光線も写真の中にうまく写っていて嬉しくなりました。今日はとても祝福された日だった・・・と感謝の気持ちでいっぱいになりました。 

この日の全ての祝福は、山に熊がいるから入れないという恐れに向き合うことから始まりました。つい最近も、秋田の人だったと思いますが、熊とバッタリ出会い、棒で熊と戦って、傷を負ったけれども助かった人の話がテレビで報道されていました。そして、私たちの畑の近くにも熊が出て、隣りの畑が荒らされました。しかし、こんなにも山には宝が詰まっているのに、熊を恐れるあまり、それらの宝を逃すにはあまりにも惜しいことです。 最後に、天からの光で木の葉が輝いているのを見せてもらったのは、神様からの特別の報酬と祝福を裏付けるようなものに思えました。

「虎穴に入らずんば虎子を得ず」ということわざがありますが、私たちは、恐れるあまり、主の祝福を逃してしまっていることがたくさんあるのではないかと思います。

それは、以前の失敗や、また大変に思えた経験などによる先入観から、打ち破れないでいる恐れが、自分の思考にかなりの影響を与えているからだと思います。

問題を直視し、それに立ち向かわねばなりません。私たちは祈って、主に特別の恵みと保護をお願いすることができるのです。恐れに負けておじけるべきではありません。

主が示された約束の祝福に与ることができるよう、信仰の一歩を踏み出すことができますように。

恐れてはならない、わたしはあなたと共にいる。驚いてはならない、わたしはあなたの神である。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わが勝利の右の手をもって、あなたをささえる。

 (イザヤ書四十一章十節)