執筆者 iesunoakashibito | 8月 1, 2023 | オーディオクラス, 時をこえて--信仰篇
勝ち得てあまりある戦い! それでは、これらの事について、なんと言おうか。もし、神がわたしたちの味方であるなら、だれがわたしたちに敵し得ようか。 ご自身の御子をさえ惜しまないで、わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、どうして、御子のみならず万物をも賜わらないことがあろうか。 だれが、神の選ばれた者たちを訴えるのか。神は彼らを義とされるのである。 だれが、わたしたちを罪に定めるのか。キリスト・イエスは、死んで、否、よみがえって、神の右に座し、また、わたしたちのためにとりなして下さるのである。...
執筆者 iesunoakashibito | 10月 10, 2022 | 時をこえて--信仰篇
うちしおれている者を慰める神 (時をこえて-信仰篇 2022.10.10) 愛する娘が入院しなければならなくて、そしてそれがいつ再び会うことができるかわからないと、医師に言われたら、どんなに心が砕けてしまうことでしょうか? 私たちの場合は、そうでした。すべてが突然で、すべて私たちの力の及ばないところで物事が進んでいっているようで、私たちは、何をしたらいいか全くわからない状態でした。...
執筆者 iesunoakashibito | 10月 9, 2022 | 時をこえて--信仰篇
ひとりで… (時をこえて–信仰篇 2022/10/9) 信仰の人、というときっとあの有名な「アブラハム」のことを思い出すこと人が多いことでしょう。 信仰によって、アブラハム(当時アブラム)は、受け継ぐべき地に出て行けとの召しをこうむった時、それに従い、行く先を知らないで出て行った。(ヘブル 11章8節)...
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