9月1日 

主の兵士としての訓練  二〇一三年秋 ひとしずく一二七二  息子たちが、自作の弓で的を射る遊びに興じていました。大きくなっても、やはり男の子だと思いました。  私も弓矢を借りて、的を狙いましたが、なかなか当たりません。丸く描かれた標的が置かれていますが、その外側の段ボールの紙さえ外してしまうのです。  それで、息子に弓を返して、彼らが射るのを見ていると、なかなか命中率が高いので驚きました。真ん中の赤い丸に三本の内二本は、命中させることができるのです。  彼らは弓矢が好きだということもありますが、やはり練習に尽きるようです。...
イエスの平安

イエスの平安

時をこえ 明日がわかるなら 黒い雲が消え去るなら 悲しみ忘れ 微笑むことができる まだ見ぬ明日の 喜びに 時をこえ 明日がわかるなら すべての理由を知るだろう この世の悩みと 涙のその後に 輝く明日が 待っている 明日へと続くこの道を 神の愛は 霧で覆う だから 神の手を握り...
病を通しての恵みの賜物

病を通しての恵みの賜物

だから、わたしたちは落胆しない。たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく。(第二コリント 4章16節) そして、天から賜わるそのすみか(復活の体)を、上に着ようと切に望みながら、この幕屋(肉体)の中で苦しみもだえている。 それを着たなら、裸のままではいないことになろう。 この幕屋(肉体)の中にいるわたしたちは、重荷を負って苦しみもだえている。…そして、肉体を宿としている間は主から離れていることを、よく知っている。 わたしたちは、見えるものによらないで、信仰によって歩いているのである。...
戦いにおける二つの惑わし

戦いにおける二つの惑わし

戦いにおける二つの惑わし 大きな闘いが戦われています。 それは、悪と正義との戦い、人類をコントロールしようとする勢力とゾンビー化されるのに抵抗する人間たちの戦いです。 聖書では、この戦いを「闇の世の主権者との戦い」「悪の霊に対する戦い」と言っています。 わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである。...