ダーク・トゥ・ライト

闇から光へ

「光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。」

(ヨハネの福音書1章5節)

めぐみとまこと

めぐみとまこと 律法はモーセをとおして与えられ、めぐみとまこととは、イエス・キリストをとおしてきたのである。(ヨハネ 1章17節) 神の律法はモーセを通してユダヤ人に与えられました。その律法を通して、人々は神とはどのようなお方であられるのか、また何を望まれておられるのかを知り、律法を基準にして行動したのでした。その律法をパウロは、イエスさまに導くための養育掛であったと書簡で語っています。養育掛とは子どもが大人になるまでの間、心身を養い育てるものです。...

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恵みに恵みが加えられた

恵みに恵みが加えられた わたしたちすべての者は、その満ち満ちているものの中から受けて、めぐみにめぐみを加えられた。(ヨハネ1章16節) イエス様には、すべての徳と善きものが満ち満ちています。そしてそれを私たちに御霊をとおして与えて下さっています。 キリストにこそ、満ちみちているいっさいの神の徳が、かたちをとって宿っており、 そしてあなたがたは、キリストにあって、それに満たされているのである。(コロサイ 2章9~10節)...

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先におられた方

先におられた方 ヨハネは彼についてあかしをし、叫んで言った、「『わたしのあとに来るかたは、わたしよりもすぐれたかたである。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この人のことである」。(ヨハネ 1章15節)  このヨハネは、福音書を書いたヨハネではなくバプテスマのヨハネです。...

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父のひとり子としての栄光

父のひとり子としての栄光  …わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた。(ヨハネ 1章14節b) ウィキぺディアには、「栄光」の意味として、「一般には人が成功・勝利などによって他人から得る好意的な評価のこと」とあります。他の辞書には「輝かしいほまれ」とあります。 ヨハネの福音書には、人(肉)となった神(ロゴス)の内に、栄光を見た、父のひとり子としての栄光を見た、とあります。ギリシャ語の原語で「栄光」は、doxa(ドクサ)。その元来の意味は、「人の意見、評価」です。...

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言は肉体となり

 言は肉体となり そして言(ロゴス)は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。(口語訳 ヨハネ 1章14節a) ことば(ロゴス)は神でした(ヨハネ1章1節参照)。宿ったというのは神が人となってこの世に来てくださったということですが、「神のひとり子としての栄光に満ちていた」とあるので、人となっても神としての性質を保たれ神の栄光で輝いていたのです。 口語訳では「言は肉体となり…」となっていますが、新改訳Ⅳでは「人」新共同訳では「人間」となっています。原語は「肉」です。...

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神によって生まれる

 神によって生まれる それらの人は、血すじによらず、肉の欲によらず、また、人の欲にもよらず、ただ神によって生れたのである。(ヨハネ 1章13節)  それらの人というのは、イエス様を信じた人たちのことです。この節の重要な点は、「神によって生まれた」ということです。聖書の他のところにもこうあります。 …父は、わたしたちを、…真理の言葉(ロゴス)によって御旨のままに、生み出して下さったのである。(ヤコブ1章18節)...

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神の子となる力

神の子となる力 しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。(ヨハネ 1章12節) 彼(イエス)を受け入れない者は、闇の中にとどまることになるのに対し、「彼を受け入れた者、その名を信じた人々には、彼(イエス)は神の子となる力を与えた」とあります。ちなみに「その名」とは「イエス」のことですが、へブル語で「イェシュア(Yeshua)」その意味は、「神(主)は救い」です。...

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すべての人のための光

すべての人のための光 すべての人を照すまことの光があって、世にきた。 彼は世にいた。そして、世は彼によってできたのであるが、世は彼を知らずにいた。 彼は自分のところにきたのに、自分の民は彼を受けいれなかった。(ヨハネ1章9~11節) この聖句の前の8節では、バプテスマのヨハネは「光ではなく光についてあかしをするために来た」とあります。それに対して、ここ9節では「まことの光が世に来た」と言っています。この世に来た光こそ、救い主、イエス・キリストです。...

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光についてのあかし

光についてのあかし ここにひとりの人があって、神からつかわされていた。その名をヨハネと言った。 この人はあかしのためにきた。光についてあかしをし、彼によってすべての人が信じるためである。 彼は光ではなく、ただ、光についてあかしをするためにきたのである。(ヨハネ1章6~8節) このヨハネは、バプテスマのヨハネと言われているヨハネのことであって、このヨハネの福音書を記したイエスの12弟子のヨハネのことではありません。(ヨハネ1章24節 参照)...

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光とやみ

光とやみ この言(ロゴス)に命があった。そしてこの命は人の光であった。 光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。(ヨハネ1章4,5節) ここで命について述べられています。ヨハネの福音書の1章14節を読むと「言(ロゴス)」は「父のひとりご」であるとあるので、神のひとりごであるイエス様のことであるとわかります。 そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた。(ヨハネ1章14節)...

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