ダーク・トゥ・ライト
闇から光へ
「光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。」
(ヨハネの福音書1章5節)
第三章 幕を取り除く
投稿を編集 神への渇き A.W.トゥザー著 第三章 幕を取り除く 「兄弟たちよ。こういうわけで、わたしたちはイエスの血によって、はばかることなく聖所にはいることができ、」(へブル10章19節) 有名な教父たちの格言の中で、アウグスティヌスの次の言葉がもっとも広く知られています。 「あなたは御自身のために我らを形づくられ、我らの心はあなたの内に休みを見出すまでは安らぎを得ることはできません。」...
幕の内に
だから、わたしたちは、あわれみを受け、また、恵みにあずかって時機を得た助けを受けるために、はばかることなく恵みの御座に近づこうではないか。(ヘブル人への手紙 4章16節)
ヨハネの福音書三章 パート12
「ヨハネの福音書三章」 <光と闇> 彼を信じる者は、さばかれない。信じない者は、すでにさばかれている。神のひとり子の名を信じることをしないからである。そのさばきというのは、光がこの世にきたのに、人々はそのおこないが悪いために、光よりもやみの方を愛したことである。悪を行っている者はみな光を憎む。そして、そのおこないが明るみに出されるのを恐れて、光にこようとはしない。しかし、真理を行っている者は光に来る。その人のおこないの、神にあってなされたということが、明らかにされるためである。(ヨハネ3章18~21節)...
ヨハネの福音書三章 パート11
「ヨハネの福音書三章」 <救うために来て下さった神の愛> 神が御子を世につかわされたのは、世をさばくためではなく、御子によって、この世が救われるためである。(ヨハネ3章17節)...
ヨハネの福音書三章 パート10
「ヨハネの福音書三章」 <モーセが荒野であげたへびの象徴> そして、ちょうどモーセが荒野でへびを上げたように、人の子もまた上げられなければならない。それは彼を信じる者が、すべて永遠の命を得るためである」。(ヨハネ3章14節) ここでイエス様が語られていることについて、少し掘り下げて考えてみたいと思います。「モーセが荒野でへびを上げたように」とイエス様が言われているのは、民数記21章にある話のことです。...
ヨハネの福音書三章 パート9
「ヨハネの福音書三章」 <霊のうちに新しく生まれ変わる> イエス様はニコデモに、神の国に入るには、霊のうちに新しく生まれ変わることが必要であることを語られ、それを風にたとえて説明されました。そのことについて、もう少し触れておきたいと思います。 被造物は神の御性質を表しているので、それらのものを通して神の存在を見ることができます。また、天国や霊のことについても自然界を通して、理解する助けになります。福音書を見ると、イエス様はほかにもこの地上の自然をたとえに用いて、いろいろなことを教えて下さいました。...
見えるところによらないで
ヨハネの福音書三章 パート8
「ヨハネの福音書三章」 <真理の御霊を妨げる肉の思い>...
ヨハネの福音書三章 パート7
「ヨハネの福音書三章」 <ニコデモのその後> さて、イエス様のところに人目を避けてやって来て、イエス様の言葉を理解できずに帰って行ったニコデモでしたが、彼の心に蒔かれた種は、あのイエス様が語られた風と御霊のたとえのように、ニコデモ自身でさえ知らないうちに芽生え成長して行きました。ニコデモについての記述はヨハネの福音書に三箇所あり、あとの二箇所を見てみてたいと思います。...
時を生かして用いなさい
時を生かして用いなさい。今は悪い時代なのである。(エペソ5章16節)