「ヨハネの福音書三章」 

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<ニコデモのその後>

さて、イエス様のところに人目を避けてやって来て、イエス様の言葉を理解できずに帰って行ったニコデモでしたが、彼の心に蒔かれた種は、あのイエス様が語られた風と御霊のたとえのように、ニコデモ自身でさえ知らないうちに芽生え成長して行きました。ニコデモについての記述はヨハネの福音書に三箇所あり、あとの二箇所を見てみてたいと思います。

まずはヨハネ7章、ニコデモがイエス様を最初に尋ねてから一年半ほど経っていたと思います。イエス様の評判は群衆の間でますます高まっていました。そこで祭司長やパリサイ人らは仮庵の祭の際に、イエス様を捕らえようと下役の者たちを使わしました。ところが下役たちはイエス様を捕らえることができずに戻ってきたのです。その箇所を読んでみましょう。

さて、下役どもが祭司長たちやパリサイ人たちのところに帰ってきたので、彼らはその下役どもに言った、「なぜ、あの人を連れてこなかったのか」。下役どもは答えた、「この人の語るように語った者は、これまでにありませんでした」。 パリサイ人たちが彼らに答えた、「あなたがたまでが、だまされているのではないか。役人たちやパリサイ人たちの中で、ひとりでも彼を信じた者があっただろうか。律法をわきまえないこの群衆は、のろわれている」。

(ヨハネ7章45~52節)

この祭司長やパリサイ人の中にニコデモがいました。ニコデモは仲間であった彼らの言葉にいたたまれなくなり、イエス様を何とか助けたいという思いがあったのでしょう。次のように言ってイエス様を弁護しています。

彼らの中のひとりで、以前にイエスに会いにきたことのあるニコデモが、彼らに言った、「わたしたちの律法によれば、まずその人の言い分を聞き、その人のしたことを知った上でなければ、さばくことをしないのではないか」。彼らは答えて言った、「あなたもガリラヤ出なのか。よく調べてみなさい、ガリラヤからは預言者が出るものではないことが、わかるだろう」。

(ヨハネ7章45~52節)

パリサイ人の中にもイエス様を信じた人は多かったのですが、イエス様への信仰を公に言い表すなら、会堂から追い出されてしまうので(ヨハネ12章42節参照)、隠れてイエス様を信じていました。そういう中でニコデモは、つい我慢できなくなり、律法を持ち出してイエス様を弁護したのです。

「こんなことを言ったら、イエス様を信じていることがばれてしまうではないか。どうして私はこんなことを言ってしまったんだろう?」ニコデモはそんな自分に驚いていたかもしれません。そして、なぜかわからないのだけれど、自分の中で何かが変わり始めているのを感じていたのかもしれません。

そして、最後にもう一箇所、ニコデモの名が出てくるのが、19章、イエス様が十字架の死を遂げられた後です。

そののち、ユダヤ人をはばかって、ひそかにイエスの弟子となったアリマタヤのヨセフという人が、イエスの死体を取りおろしたいと、ピラトに願い出た。ピラトはそれを許したので、彼はイエスの死体を取りおろしに行った。また、前に、夜、イエスのみもとに行ったニコデモも、没薬と沈香とをまぜたものを百斤ほど持ってきた。彼らは、イエスの死体を取りおろし、ユダヤ人の埋葬の習慣にしたがって、香料を入れて亜麻布で巻いた。イエスが十字架にかけられた所には、一つの園があり、そこにはまだだれも葬られたことのない新しい墓があった。その日はユダヤ人の準備の日であったので、その墓が近くにあったため、イエスをそこに納めた。

(ヨハネ19章38~42節)

ここに、アリマタヤのヨセフという人が出てきます。アリマタヤというのは地名です。彼はエルサレムに住んでいましたが、出身がこの町であったことからアリマタヤのヨセフと呼ばれていたようです。このヨセフについてはマタイ・マルコ・ルカ・ヨハネ、四福音書全てに記されています。その記述を寄せ集めてヨセフがどんな人であったかを見ると、彼は地位の高い(ユダヤ人最高議会の)議員であり、お金持ちであり、神の国を待ち望んでおり、議会の議決や行動に賛成していない、ユダヤ人をはばかってひそかにイエス様の弟子となった人です。(マタイ27:57、マルコ15:43、ルカ23:50、ヨハネ19:38参照)

ニコデモも議員であったので、おそらくヨセフと面識があったのだと思います。そしてヨセフはその地位から総督ピラトに掛け合うことができ、イエス様の遺体をお墓に葬る許可を得られたのです。もしそうしないなら、通常、十字架刑に架かった遺体は、ローマ人の風習ではそのまま放置され、野獣や鳥の餌食となりました。また、ユダヤ人は城壁の外、南にあるヒンノムの谷に捨て火葬されました。火葬といってもこれは罪人に対する刑罰として行なわれたものです。このヒンノムの谷には、汚物や罪人、動物の死体を焼くために、炎が絶えなかったと記録され、ゲヘナ(地獄)の語源はここから来ています。

しかし、イエス様の遺体はそのようにはされず、ニコデモとヨセフによって、ユダヤ人の埋葬の習慣にしたがってお墓に納められました。このお墓はマタイの記述によると、ヨセフ所有のお墓(マタイ27:60参照)でした。ニコデモは、「没薬と沈香とをまぜたものを百斤ほど持ってきた」と記されています。新共同訳や新改訳では百リトラとあり、これは約33キロほどで、かなり高額であったようです。

イエス様の弟子達でさえ、ヨハネ以外皆逃げ去っていた中で、以前には公に信仰を表明できなかったとは言え、この時の二人の行為にはイエス様に対する畏敬の念と、決死の思いが感じられます。これは彼らにとっての信仰表明であり、それは彼らが持っていた地位や名誉、財産、すべてを投げ出す覚悟での行為であったと思います。おそらく、この二人の行為はすぐに最高議会に報告され、彼らは会堂を追い出されことでしょう。

その後、彼らがどうなったかは聖書に記されてはいませんが、正教会では、この後ニコデモはキリスト教徒となり、ユダヤ人に殺されて殉教したと言い伝えられています。また、ユダヤ人のある文献によると、ニコデモらしき人物について書かれていて、彼は会堂を追われ、その後は貧困のうちに死んで行った、と記されているそうです。

しかし、イエス様こそ救い主であると確信したニコデモには、もうこの世の富や名誉は何の価値もないものになっていたと思います。むしろそれらのしがらみから解放され、自由に御霊の風を受けて、以前には理解できなかった霊の内に新しく生まれ変わるということを体験し、喜びにあふれて、神を賛美し、イエス様を証して生きるという人生を送ったと信じます。それはちょうどイエス様が語られた、天国のたとえに出てくる宝を見つけた人のような気持ちだったと想像するのです。この世での束の間の富や名声などとは比べ物にならない、はるかに価値のあるものをニコデモは見出したのです。

天国は、畑に隠してある宝のようなものである。人がそれを見つけると隠しておき、喜びのあまり、行って持ち物をみな売りはらい、そしてその畑を買うのである。

また天国は、良い真珠を捜している商人のようなものである。高価な真珠一個を見いだすと、行って持ち物をみな売りはらい、そしてこれを買うのである。

(マタイ13章44~46節)

パート8に続く