(以下は「サタンの反乱:艱難への序章 パート4 サタンの世界のシステム、過去、現在、未来」からの抜粋したものの仮翻訳版です)

…堕落の後、私たちの最初の両親<アダムとエバ>が神の恵みある救いの申し出を受け入れたとき、彼らはいわば悪魔の領域の侵略するために「反撃」に出たようなものです。この時点から、悪魔は、できるだけ多くの人類を自分の支配下に置くために嘘のコントロール・システムを作り上げますが、それに対抗して、神に従い、考え、行動することを選ぶ人者たち全員を敵と見なしているのです。

挫折や試練、そして涙の最中で、悪魔の領域においてクリスチャン人生を歩むという厳しい現実の最中で、私たちクリスチャンが、兵士としての根本的な原則を学ぶことは非常に重要なことです。その原則は何があっても物事を個人的にとってはならない、ということです。 

イエス様が非常にわかりやすい言葉で私たちに語っておられたように、世はイエス様に敵対したので、イエス様に属するすべての人に対しても敵対することになりました。(ヨハネ15章18-19節)。 地を治めるため、また闇の中を歩く人々の救いため、キリストに従うすべての人の霊的な進歩と成長のためのこの戦いは私たち個人の戦いではなく、イエス・キリストの戦いなのです。

現代を特徴づける経済的・技術的な「繁栄」にもかかわらず、霊的な観点から見ると、私たちは教会がこれまでに経験したことのない厳しい時代に生きています。 悪魔のシステムが世界の思考と文化を支配し、コントロール下に置く寸前に来ています。バベルの塔以来、これほどサタンが(彼の複雑で多様な嘘に基づいて)世界的な単一文化を構築することに近づいたことはありません。

真理に関連するすべてのものは、悪の世の力からますます激しい攻撃を受けています。 このような状況下では、真理を信じ、真理を愛し、真理に仕え、真理を求める私たちが、悪魔の攻撃を個人的に受け止めないようにすることが絶対に必要です[1]。この世界が私たちが奮闘している戦闘地帯である以上、また私たちがイエス・キリストに従う者である限り、艱難は当然のことであると予期し、想定外の出来事とみなすべきではありません。

[彼らは]弟子たちを力づけ、信仰を持ちつづけるようにと奨励し、「わたしたちが神の国にはいるのには、多くの苦難を経なければならない」と語った。 (使徒行伝 14章22節)

わたしがあなたがたに『僕はその主人にまさるものではない』と言ったことを、おぼえていなさい。もし人々がわたしを迫害したなら、あなたがたをも迫害するであろう…(ヨハネ 15章20節)

いったい、キリスト・イエスにあって信心深く生きようとする者は、みな、迫害を受ける。 (第二テモテ3章12節)

愛する者たちよ。あなたがたを試みるために降りかかって来る火のような試錬を、何か思いがけないことが起ったかのように驚きあやしむことなく、 むしろ、キリストの苦しみにあずかればあずかるほど、喜ぶがよい。それは、キリストの栄光が現れる際に、よろこびにあふれるためである。 (第一ペテロ 4章12-13節)


[1] 聖書のテーマである「苦しみ」については、ペテロ・シリーズの#1~6、特に#26をご覧ください。