https://ichthys.com/mail-cumulative%20prayer.htm

ロバート・D・ルギンビル博士著 からの抜粋引用

質問:

こんにちは、ボブ。

複数の人が一人のために祈る場合、それはどのように影響するのでしょうか。言い換えると、主はそれをどのように見ておられるのでしょうか。私はこれまで他の人のために祈ってきましたが、それが主の御前でどのようにその人の益となるのか、よく分かりませんでした。

返信:                                                     

これは非常に良い質問であり、私自身もかなり考えてきたことです。祈りは、私が現在資料を集めている主題の一つでもあります(いずれ「聖書の基礎」シリーズで扱う予定です)。

私はこう信じています。キリスト者の口から出る義なる祈りはすべて聞かれており、何らかの形で必ず答えられているのです。しかし、多くのことと同様に、その詳細については私たちには分かりません。私たちの周囲で渦巻いている目に見えない霊的戦いを見ることができないのと同じように、私たちが天に向かって放つ一つ一つの「ミサイル(祈り)」がどのような具体的影響を与えているのかを知ることもできません。しかし、確かに影響はあるのです。黙示録8章3–5節にある「聖徒たちの祈り」は大切に蓄えられており、その時に一斉に答えられます。そこでは確かに艱難期のさばきに関する特定の祈りが扱われていますが、この箇所は、すべての信者の祈りが考慮されていることを示唆しています。またもちろん、祈りが答えられることについての多くの約束もあります(例:ルカ11章5–13節)。ある人々は神の御前で特に大きな影響力を持っており、その祈りは特別な重みを持ちます(ダニエル9章23節; ヤコブ5章16–18節)。そして、多くの人が同時に祈ることについては、使徒行伝12章1–17節でペテロが牢から解放されたのが、ちょうど教会が彼のために共に祈っていた時であったことが記されています。またパウロも、特に積み重なる祈り(累積的な祈り)を通して互いに支え合うことの重要性を強調しています(第二コリント1章11節;同9章12–14節参照)。

したがって、どれほど小さく、短く、弱々しい祈りであっても、それは聞かれ(そして答えられ)ますが、同時に、祈りを「より効果的」にする要素があることも確かです。たとえば、

複数の人が祈ること(マタイ18章19節

粘り強く祈り続けること(ルカ18章1–6節

祈る人の義(ヘブル5章7節参照)

断食(ダニエル9章3節参照)

これらすべてには、祈りに「重みが加わる」効果があると言えるでしょう。こうしたことを聞いて、特定の祈りが答えられるためには多くの要素が必要なのだと考えて落胆する人もいるかもしれません。しかし、それは物事を逆に見ていると思います。祈りが答えられることが、より大切で、より重要で、より困難であるほど、私たちは待つことを通して信仰が鍛えられ、築き上げられ、そして答えられたときには、神に対していっそう深い感謝を抱くようになるのです。

そもそも、私たちがイエスを信じた後もこの世に留められている主な理由の一つは、信仰を築き上げ、信仰を証明し、信仰を示すためです。待つことなく、主を信頼する必要がなければ、これは決して起こらないでしょう(もしすべての祈りがすぐに、私たちの思った通りに答えられるならば)。

イスラエルの民は、神の御手が紅海を分け、彼らを滅ぼそうとしていた敵を打ち倒すという、非常に驚くべき出来事を目の当たりにしました。そして彼らは主を恐れ、主を信じました(出エジプト14章31節)。しかし、そのわずか数日後には疑い、不平を言っていたのです(出エジプト15章22–26節)。この有名な否定的例(パウロも第一コリント10章で祈りに関連して言及しています)とは対照的に、私たちは、神が決して私たちを見捨てず、常に私たちの最善を考えておられるという視点を持たなければなりません(肉の目にはそう見えなくても)。

私は確信しています。もし私たちが知識においても、信仰においても、キリスト者としての歩みにおいても完全であったなら、私たちの祈りはエリヤやダニエルやモーセの祈り、さらには主ご自身の祈りのように効果的であったでしょう。なぜなら、その時には神の御心に完全に一致して祈ることになるからです。もちろん、私たちは完全ではありません。ですから、私たちの「打率」はダビデやパウロほど高くはありません。しかし私たちは祈り続けなければなりませんし、同時に祈りの質を高める努力もし続けるべきです。そして、他のキリスト者たちも同じように私たちのために祈ってくれていること、そして一つ一つの祈りがすべて意味を持っていることを覚えておくべきなのです。

これらのリンクもぜひご覧ください:

「主の祈り」

ゲッセマネにおけるイエスの祈り」(聖書の基礎第4部A: イエス・キリストについての研究)

祈りは天からささげられることがあるのか?」<英文>

霊的成長の要素としての祈り」(ペテロ・シリーズ#17の15頁「7.祈り」の項参照)

共同の祈り:『地上で二人が心を合わせるとき』

信仰が弱りつつあるときのための祈り」<英文>

祈りにおいて聖なる手を上げること」<英文>

呪いを求める祈り(インプレカトリー・プレイヤー)」<英文>

イエスの御名によってささげる祈り」<英文>

知恵を求める祈り:ヤコブ1章5節」<英文>

祝福・呪い・祈りと神のみこころ」<英文>

父なる神への祈りの道と、私たちのためのキリストのとりなし」<英文>

私たちの祈りを聞き、私たちをいやしてくださるお方、

私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの御名によって

出エジプト記15章26節)。

Bob L.