ダーク・トゥ・ライト

闇から光へ

「光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。」

(ヨハネの福音書1章5節)

バプテスマについて

バプテスマについて

バプテスマについて  私達を信仰にとどめてくれるもの、信仰によって歩んでいく力はみ言葉を深く学ぶと言う事から来ます。み言葉から離れては、成長はありません。離れてしまうと、儀式的になったり、習慣になってしまったりします。でも、信仰は神の言葉を聞くことから来るもので、生きた神の言葉につながる必要があります。...

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うちしおれている者を慰める神

うちしおれている者を慰める神

うちしおれている者を慰める神 (時をこえて-信仰篇 2022.10.10) 愛する娘が入院しなければならなくて、そしてそれがいつ再び会うことができるかわからないと、医師に言われたら、どんなに心が砕けてしまうことでしょうか? 私たちの場合は、そうでした。すべてが突然で、すべて私たちの力の及ばないところで物事が進んでいっているようで、私たちは、何をしたらいいか全くわからない状態でした。...

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ひとりで…

ひとりで... (時をこえて--信仰篇 2022/10/9)  信仰の人、というときっとあの有名な「アブラハム」のことを思い出すこと人が多いことでしょう。 信仰によって、アブラハム(当時アブラム)は、受け継ぐべき地に出て行けとの召しをこうむった時、それに従い、行く先を知らないで出て行った。(ヘブル 11章8節)...

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自分の時

自分の時

1)人間の「自分の時」 あなたは義に過ぎてはならない。また賢きに過ぎてはならない。あなたはどうして自分を滅ぼしてよかろうか。 悪に過ぎてはならない。また愚かであってはならない。あなたはどうして、自分の時のこないのに、死んでよかろうか。 (伝道の書 7章16-17節) 悪しき者は誇り顔をして、神を求めない。その思いに、すべて「神はない」という。 (詩篇10篇4節) 腰に帯をしめ、あかりをともしていなさい。 主人が婚宴から帰ってきて戸をたたくとき、すぐあけてあげようと待っている人のようにしていなさい。...

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産みの苦しみ

産みの苦しみ 二〇一二年十月四日 ひとしずく九六二  先日、那須で知り合いになったある芸術家の方が、東京で展覧会を催しているので、友人と妻とで行ってきました。ちなみに、都庁の中庭にある、てんとう虫のモニュメントは彼の作品です。...

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なぜ黙示録?

なぜ黙示録?

イエス・キリストの黙示。この黙示は、神が、すぐにも起るべきことをその僕たちに示すためキリストに与え、そして、キリストが、御使をつかわして、僕ヨハネに伝えられたものである。 ヨハネは、神の言とイエス・キリストのあかしと、すなわち、自分が見たすべてのことをあかしした。 この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて、その中に書かれていることを守る者たちとは、さいわいである。時が近づいているからである。(黙示録...

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荒野で

荒野で

主の分はその民であって、ヤコブはその定められた嗣業である。 主はこれを荒野の地で見いだし、獣のほえる荒れ地で会い、これを巡り囲んでいたわり、目のひとみのように守られた。 わしがその巣のひなを呼び起し、その子の上に舞いかけり、その羽をひろげて彼らをのせ、そのつばさの上にこれを負うように、 主はただひとりで彼を導かれて、ほかの神々はあずからなかった。 主は彼に地の高き所を乗り通らせ、田畑の産物を食わせ、岩の中から蜜を吸わせ、堅い岩から油を吸わせ、...

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砂漠のオアシス

砂漠のオアシス  二〇一四年八月十四日 ひとしずく一六四四 私はここ数日、道の駅で車中泊をしています。そして道の駅で車中泊するようになって気づいたことがあります。それは意外にも、車で夜を明かす人が多くいるということです。夜、駐車場に行くと、いつもほとんどの駐車スペースはいっぱいです。車のウィンドウから見える運転者の人達は、多くがその場所で泊まろうとしている人たちです。...

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