執筆者 iesunoakashibito | 11月 30, 2020 | オーディオクラス
だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。(コリント第二の手紙5章17節)
執筆者 iesunoakashibito | 11月 29, 2020 | エイデン・W・トーザー
投稿を編集 神への渇き A.W.トゥザー著 第三章 幕を取り除く 「兄弟たちよ。こういうわけで、わたしたちはイエスの血によって、はばかることなく聖所にはいることができ、」(へブル10章19節) 有名な教父たちの格言の中で、アウグスティヌスの次の言葉がもっとも広く知られています。 「あなたは御自身のために我らを形づくられ、我らの心はあなたの内に休みを見出すまでは安らぎを得ることはできません。」...
執筆者 iesunoakashibito | 11月 27, 2020 | オーディオクラス
だから、わたしたちは、あわれみを受け、また、恵みにあずかって時機を得た助けを受けるために、はばかることなく恵みの御座に近づこうではないか。(ヘブル人への手紙 4章16節)
執筆者 iesunoakashibito | 11月 27, 2020 | ヨハネの福音書, ヨハネの福音書 第三章, 聖書研究
「ヨハネの福音書三章」 <光と闇> 彼を信じる者は、さばかれない。信じない者は、すでにさばかれている。神のひとり子の名を信じることをしないからである。そのさばきというのは、光がこの世にきたのに、人々はそのおこないが悪いために、光よりもやみの方を愛したことである。悪を行っている者はみな光を憎む。そして、そのおこないが明るみに出されるのを恐れて、光にこようとはしない。しかし、真理を行っている者は光に来る。その人のおこないの、神にあってなされたということが、明らかにされるためである。(ヨハネ3章18~21節)...
執筆者 iesunoakashibito | 11月 27, 2020 | ヨハネの福音書, ヨハネの福音書 第三章, 聖書研究
「ヨハネの福音書三章」 <救うために来て下さった神の愛> 神が御子を世につかわされたのは、世をさばくためではなく、御子によって、この世が救われるためである。(ヨハネ3章17節)...
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