めぐみとまこと

めぐみとまこと 律法はモーセをとおして与えられ、めぐみとまこととは、イエス・キリストをとおしてきたのである。(ヨハネ 1章17節) 神の律法はモーセを通してユダヤ人に与えられました。その律法を通して、人々は神とはどのようなお方であられるのか、また何を望まれておられるのかを知り、律法を基準にして行動したのでした。その律法をパウロは、イエスさまに導くための養育掛であったと書簡で語っています。養育掛とは子どもが大人になるまでの間、心身を養い育てるものです。...

恵みに恵みが加えられた

恵みに恵みが加えられた わたしたちすべての者は、その満ち満ちているものの中から受けて、めぐみにめぐみを加えられた。(ヨハネ1章16節) イエス様には、すべての徳と善きものが満ち満ちています。そしてそれを私たちに御霊をとおして与えて下さっています。 キリストにこそ、満ちみちているいっさいの神の徳が、かたちをとって宿っており、 そしてあなたがたは、キリストにあって、それに満たされているのである。(コロサイ 2章9~10節)...

先におられた方

先におられた方 ヨハネは彼についてあかしをし、叫んで言った、「『わたしのあとに来るかたは、わたしよりもすぐれたかたである。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この人のことである」。(ヨハネ 1章15節)  このヨハネは、福音書を書いたヨハネではなくバプテスマのヨハネです。...

父のひとり子としての栄光

父のひとり子としての栄光  …わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた。(ヨハネ 1章14節b) ウィキぺディアには、「栄光」の意味として、「一般には人が成功・勝利などによって他人から得る好意的な評価のこと」とあります。他の辞書には「輝かしいほまれ」とあります。 ヨハネの福音書には、人(肉)となった神(ロゴス)の内に、栄光を見た、父のひとり子としての栄光を見た、とあります。ギリシャ語の原語で「栄光」は、doxa(ドクサ)。その元来の意味は、「人の意見、評価」です。...

言は肉体となり

 言は肉体となり そして言(ロゴス)は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。(口語訳 ヨハネ 1章14節a) ことば(ロゴス)は神でした(ヨハネ1章1節参照)。宿ったというのは神が人となってこの世に来てくださったということですが、「神のひとり子としての栄光に満ちていた」とあるので、人となっても神としての性質を保たれ神の栄光で輝いていたのです。 口語訳では「言は肉体となり…」となっていますが、新改訳Ⅳでは「人」新共同訳では「人間」となっています。原語は「肉」です。...