あなたのための神の御計画 (TFI 十二の礎石 12B 「神の道を行く」よりひとしずく九五五に引用)

「たとえ、自分がどんなに弱く感じても、神はあなたを使われます。」

ずっと昔、大都会で、有名なバイオリニスが千ドルもするバイオリンを弾く演奏会が催されることになりました。当時の千ドルはものすごい金額です。会場は満員でした。大勢の人が音楽を聴くだけでなく、高価なバイオリンを一目見ようとやって来ました。

バイオリニストがステージに出てきて、演奏を始めました。人々は、その美しい音楽に酔いしれました。ところが突然、彼はバイオリンを床にたたきつけ、足で踏んで粉々にして、舞台のそでに下がりました。人々は驚きました。このような素晴らしく高価な楽器を壊してしまうなんて、正気の沙汰ではありません。すると、支配人が出てきて、観客に告げました。「皆さん、バイオリニストはまだ千ドルのバイオリンを弾いておりません。皆さんがお聞きになったのは、演奏者が 65セ ントで購入したバイオリンです。今から、千ドルのバイオリンによる演奏をいたします。」

そして、演奏が始まりました。けれども、その違いがわかった人はほとんどいませんでした。 バイオリニストは音楽に違いをもたらすのは楽器ではなく、それを弾く演奏者であることを証明したかったのです。

あなたは65セントのバイオリンかもしれません。けれども、心を委ねるなら、創造主である主は、あなたから素晴らしい音楽を作り出されるのです。(使徒行伝四章一三、一四節、ローマ人への手紙一二章一、二節)

「もし、神に働いてもらうなら、神はあなたを使うことができます。」

インドで、一人のしもべが長い棒の両端に大きな水瓶を二つかけ、肩に担いで運んでいました。一つの瓶にはひびがあり、主人の家に着く頃には水が半分に減ってしまいましたが、もう一つの瓶にはひびが入っておらず、長い道のりを歩いた後でも、水はいっぱいのままでした。二年間ずっと、毎日、このしもべは瓶に一つと半分の量の水を持って帰ってきたわけです。当然ながら、漏れのない瓶は、自分は役割を完璧に果たしていると思って、それを誇りに思っていました。けれども、ひびの入った瓶はかわいそうに、自分の不完全さを恥ずかしく思い、自分に課せられた仕事の半分しかできないことを嘆き悲しみました。

挫折感にさいなまれて二年間が経ちました。そんなある日、そのひびの入った瓶は川でしもべに告げました。「自分が情けない。本当に申し訳ない。」

しもべは、「いったい、何を申し訳なく思っているんだい?」と聞きました。

「これまでの2年間、私は半分しか水を運ぶことができませんでした。私にはひびが入っているので、あなたの主人の家に戻るまでに水がずっと漏れ続けるのです。私がいたらないため、あなたに苦労をかけてしまい、本当なら運んでいるはずの水の量を運べないでいるからです」と瓶は言いました。

しもべは、ひびが入った古い瓶のことを気の毒に思いました。そして、思いやりをもってこう言いました。

「主人の家に戻るまでの道路脇には、美しい花が咲いているよ。それをよく見ていてごらん。」

なるほど、丘を登っていくと古い瓶は、道の脇に暖かい日の光に包まれている美しい花々が咲いているのに気づきました。それで少し心が晴れるようでした。けれども、家に近づいてくると、やはり水が半分漏れているのでがっかりし、 もう一度しもべに謝ったのでした。しもべは瓶に言いました。

「君は気がついたかい?花は、もう一つの瓶の側ではなく、君の側に咲いていたよ。それは、 私が君にひびが入っていることを知っていて、それを利用したからなんだ。私は、道路の君がいる方の側に花の種を蒔いておいた。そして毎日、水をくんだ帰りに、君は種に水をやっていたのだ。二年間、私はそこに咲いた美しい花をつんで、主人のテーブルを 飾った。ひびの入った君がいなければ、主人の家を飾る美しい花もなかっただろう。」

私たちには皆、それぞれ欠点があります。皆、ひびが入った瓶なのです。けれども、私たちが心を委ねるなら、主はその欠点を使ってご自分のテーブルを美しく飾られるでしょう。神の完璧な秩序の中では、無駄なものは一つもありません。

いつの時代であっても、そしてこれからもあなたと全く同じような人はいません。あなたはユニークであり、二人といない存在です。

二つと同じ葉っぱはなく、同じ宝石も、同じ星も、また同じ人生も二つとありません。どの人生も、世に対する神の新しいお考えのもとにあるのです。

世界中であなたの仕事をできる人はあなた以外にいません。神には、あなたに対するご計画があるのです。そして、もしあなたの人生に対する神の目的を見出し、 それに生きないなら、あるべき栄光を逃していることになります。どの宝石もそれ自身の輝きできらめき、どの花もそれ自身の芳香を放ち、どの信仰者もその人独自のイエスの輝きをもっているのです。

神はあなたに他の人と違った性格を与えたでしょうか?そうです。神はその性格だからこそ到達でき、触れられる特有の人を作られました。だから、世界中であなた以外、誰もそれを成し遂げることができないということなのです。

神は私達一人一人に、ある特性や能力という賜物を下さっています。決断をしたり、神の御心を求めているとき、自問してみる必要があります。

「与えられた賜物で私は何をしているのだろうか? もっとも重要なもののためにそれらを使っているだろうか?」と。

神があなたの人生を豊かに祝福してくださいますように。

あなたがたは、それぞれ賜物をいただいているのだから、神のさまざまな恵みの良き管理人として、それをお互のために役立てるべきである。

(第一ペテロ四章一〇節)

このように、わたしたちは与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っているので、もし、それが預言であれば、信仰の程度に応じて預言をし、奉仕であれば奉仕をし、また教える者であれば教え、勧めをする者であれば勧め、寄附する者は惜しみなく寄附し、指導する者は熱心に指導し、慈善をする者は快く慈善をすべきである。

(ローマ人への手紙一二章六~八節)

                                                                      <引用終わり>

 < これを読んでいていくつかの聖句を思い出しました。次の聖句です:

しかしわたしたちは、 この宝を土の器の中に持っている。   その測り知れない力は神のものであって、  わたしたちから出たものでないことが、  あらわれるためである。                                          

 (第二コリント四章七節)

ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。

(第二コリント一二章九節)

 私たちが弱点と思い、恥ずかしいとさえ思っているまさにそうしたところから、神の恵みが外に向かって輝くということがよくありますね。キリストを通して罪赦して用いて下さる神に栄光が帰されますように!>