霊と力とによる証し   ひとしずく九二五

 奇跡が存在することについての講義の後、質疑応答の際、クリスチャンであり、数学者であるジョン・レノックス(オックス フォード大の教授)は、最高の奇跡の一つとして、イエス・キリストの復活の話を持ち出しました。これはユーチューブのビデオ(Veritas Forum)で見たのですが、彼の力強い話に霊感されました。
 ジョン・レノックス教授は、講演の中で、神様は自然の法則を造られたが、その法則に縛られてはいないし、その必要もない。神様は御自分で創られたこの世界に、その自然の法則を超越して介入し、行動することができる。そして、それが奇跡というものだと語りました。

彼の話はとても説得力があり、素晴らしい証しだと思いました。しかし、その中でも私が一番、心惹かれたのは、彼にとっての一番の奇跡、つまり超自然的で、自然の法則を越えて介入する神様の力は、彼の人生における、イエス様との個人的な関係だと言っていたことです。
 彼は、神様との関係について、彼の個人的なテステモニーを次のように話しました。(以下は、要約したものです)

私がロシアに行く時、神様に聖書を一冊スーツケースに入れるように導かれました。そしてロシアでバスに乗ると、バスの運転手がどういうわけか道を間違えて、列車に乗り遅れ、私は他の乗客と、一時、待ち合い室で待たされたのです。その時、私は隣りに座ったロシア人の男性と会話を始めました。私はその男性に、とにかく聖書を手渡すことを神様からチェックを受けました。相手は特別神様を信じているというわけではありませんでした。 しかし、聖書を渡すと、その男性は非常に驚いたのです。近くにいた彼の妻はその聖書を受け取って、涙を流していました。実は、少し前、彼女の持っていた唯一の聖書が盗まれ、彼女は絶望的に聖書が与えられるように祈っていたというのです。

  この科学者であり、数学者である教授は、機知とユーモアに富んでいて、イエス様の蘇りの他にも、色々な知識を持って、神や聖書について語れる人なのでしょ う。しかし彼は、自分が神様との関係を今も持っているという事実、つまりイエス様が毎日いつも自分と交わっていて、自分の内に生きているということほど、 力強い証明はないということを主張したのでした。
 これは、私にとってとても励ましでした。時々、十分説得力のある説明ができなくてもどかしい気持ちになる時があります。 私は分析的でもないし、論理的な思考にも欠いています。しかし、生きて私の毎日の生活に介入して下さっている主のことは話すことができ、証しすることができるのです。そして、それは私だけでなく、主との個人的な関係を持っている人なら、誰もができることなのです。

力強い証しとは、知識や話のうまさに関係なく、神様の愛や、力について、自分が実際体験したことを、ただ人々に話して聞かせるだけのことなのです。それは、 牧師でも神父でなくても、また科学者や学者でなくても、誰にでもできることなのです。ただ、自分が体験した事実こそが、神様の存在についての力強い証しで あり、それは霊と力とによるものなのです。

毎日、機会ある毎に、出会う人に、主が自分にしてくださった数々のこと、または今もし続けてくださっていることを、話し、証ししようではありませんか。

そして、わたしの言葉もわたしの宣教も、巧みな知恵の言葉によらないで、霊と力との証明によったのである。それは、あなたがたの信仰が人の知恵によらないで、神の力によるものとなるためであった。

(第一コリント二章四、五節)