光とやみ

この言(ロゴス)に命があった。そしてこの命は人の光であった。 光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。

(ヨハネ1章4,5節)

ここで命について述べられています。ヨハネの福音書の1章14節を読むと「言(ロゴス)」は「父のひとりご」であるとあるので、神のひとりごであるイエス様のことであるとわかります。

そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた。

(ヨハネ1章14節)

イエスはご自分が「命」であると言われました。

イエスは彼女に言われた、「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。

(ヨハネ11章25節)

イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。

(ヨハネ14章6節a)

 「命」の反対は「死」です。1章5節には、「光」と「やみ」が対照的に述べられていますが、それは「霊的に生きていること」と「霊的に死んでいること」にも深い関係があります。

聖書の言葉は、神の目から見て、人がどのような状態であるかということを告げています。人は、神の目から見たら、実は死んでいるような状態であるのに、ほとんどの場合、それに気づいていません。

「…あなたは、生きているというのは名だけで、実は死んでいる」

(黙示録3章1節)

また何もわかっていない、見えていないのに、自分はわかっている、見えていると思い込んでいることもあります。

「わざわいなるかな、彼らは悪を呼んで善といい、善を呼んで悪といい、暗きを光とし、光を暗しとし、苦きを甘しとし、甘きを苦しとする。 」

(イザヤ5章20節)

イエスは彼らに言われた、「もしあなたがたが盲人であったなら、罪はなかったであろう。しかし、今あなたがたが『見える』と言い張るところに、あなたがたの罪がある。

(ヨハネ9章41節)

罪のうちに歩んでいると、次第にそれが大したことではないように思えてきます。霊の感覚が麻痺してしまうからです。

パウロはイエスを信じて救われた人々に対して次のように述べています。

不品行といろいろな汚れや貪欲などを、聖徒にふさわしく、あなたがたの間では、口にすることさえしてはならない。 また、卑しい言葉と愚かな話やみだらな冗談を避けなさい。これらは、よろしくない事である。それよりは、むしろ感謝をささげなさい …あなたがたは、以前はやみであったが、今は主にあって光となっている。光の子らしく歩きなさい――

(エペソ5章3~8節)

神であるロゴス、すなわちイエスは、光としてやってきました。闇の中にいる人々が必要としているものが光であると、知っていたからです。しかし、いったん光を求めるなら、勝利は約束されています。私達のすべての罪の汚れを身に負って死んで下さったイエス・キリストのゆえです。

「やみはこれに勝たなかった」。この聖句が示すのは、闇と光の間に戦いがあるということです。しかし、闇は光に対して戦うけれども、光は決して闇に負けることはないのです。

「…暗黒の中に住んでいる民は大いなる光を見、死の地、死の陰に住んでいる人々に、光がのぼった」

(マタイ4章16節)

というイザヤの預言はイエスの出現によって成就されたのです。

イエスは、また人々に語ってこう言われた、「わたしは世の光である。わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、命の光をもつであろう」。

(ヨハネ 8章12節)

しかし、光にさらされる時、すべてのものは、明らかになる。 明らかにされたものは皆、光となるのである。だから、こう書いてある、「眠っている者よ、起きなさい。死人のなかから、立ち上がりなさい。そうすれば、キリストがあなたを照すであろう」。 そこで、あなたがたの歩きかたによく注意して、賢くない者のようにではなく、賢い者のように歩き、 今の時を生かして用いなさい。今は悪い時代なのである。 だから、愚かな者にならないで、主の御旨がなんであるかを悟りなさい。

(エペソ5章13~17節)

イエス様の言われている真理は霊的なことなので、それを理解するには、神の御霊(聖霊)が必要です。

(イエス:)…わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、また命である。

(ヨハネ6章63節)

…御霊はすべてのものをきわめ、神の深みまでもきわめるのだからである。…神の思いも、神の御霊以外には、知るものはない。 ところが、わたしたちが受けたのは、この世の霊ではなく、神からの霊である。…わたしたちは人間の知恵が教える言葉を用いないで、御霊の教える言葉を用い、霊によって霊のことを解釈するのである。

(1コリント 2章10~13節)

(祈り:)主が聖霊を下さり、イエス様とイエス様の語られている言葉を理解するのを助けて下さいますように。日々の聖書の学びが祝福されますように。そしてイエス様に従ってついていくことによって、闇の中にとどまることなく、命の光のうちを歩めますように。