かわいい子には旅をさせよ  二〇一二年秋 ひとしずく九二二

一昨日、あるミーティングのために那須から千葉に来ていた私に、妻から興奮した様子で電話がありました。しばらく前から、妻と三人の子供たちと私は「命の絵本プロジェクト」のために秋田から那須に来ていました。しかし、秋田でおばあちゃんと留守番をしていた娘が、アメリカに行くことになり、家におばあちゃんを一人残しておくのも心配だということで、十七歳の息子とそのすぐ下の十五歳の娘が一足早く、秋田に帰ることになりました。そして一日電車乗り放題の青春切符を買って、那須から秋田まで、各駅電車で、二人はこの冒険にはりきって出発して行ったのでした。

ところが、息子はインターネットで電車の乗り換えや時間を調べていたのですが、まさかの非常事態が・・・。一つ電車に乗り遅れたために、 乗り継ぎが合わなくなり、その日、秋田に帰ることができなくなってしまったのです。その知らせが息子から妻の所に入り、そして妻はすぐ私に連絡してきたのでした。妻の声は動揺していました。夜中に泊まる場所もなく、うろうろしているなら、一体どんなことになるか・・・。何やら妻は恐ろしいことをいろいろ想像していたようでした。

 私も一瞬、困ったことになった、とは思いましたが、祈るとすぐに平安が与えられました。

 思えば、私も二十歳の頃、あちこちヒッチハイクで伝道旅行していた時には、泊まる場所がなかったというのはよくあることでした。一人、ヒッチハイクで信州の山の中までトラックに乗せてもらい、そこで降りて次の車が見つかるまで、真夜中の山道を長い時間、歩いたこともありました。駅で寝た事や野宿したことハプニングは数えきれません。 しかし、若い頃というのは、不思議とそういったことを、恐ろしいだとかみじめだとか思わないものです。

 星に手が届きそうなほどの美しい夜空に感動したり、聖書の言葉に飢えている人に夢中になってイエスのことを伝えたり、むしろ、楽しい冒険でした。これらの楽しみは、やはり経験しないと味わえないものです。

 実は、私は心の中では、彼らの秋田までの旅に、ハプニングを求めていたところもありました。そして、思いがけないことが起ったら、主よ、よろしくお願いしますと祈っていたのです。せっかくの彼らだけの旅が、一生思い出に残るような、冒険に満ちたものとなるように。何よりも主がいつも見守って下さる方であることを知ることができるように。また、そのような予想外のことが起こった時、自分たちで祈って決断し、行動するという良い訓練となるように祈っていたのです。

 これから災害や、困った状況に一人取り残されるということが、 いつ起こるとも限りません。それなら、平和な内に、どんどんそのような訓練を与えてもらった方が良いと思います。レールの上をただ他の人よりも、スムーズに速く走れました、という以上のものを体験してほしいのです。 

ところで、今ちょうどミーティングでTさんと一緒で、彼の若い頃の冒険物語について話してもらっていたところでした。このようなお話です。

Tさんが十八歳だった時、彼は外洋船を一人で見学に行っていました。それはノルウェーの船でした。その船を眺めていたTさんに、ノルウェーの船の乗組員が話しかけてきて、船の中を見学させてくれました。しかし、その乗組員の人が、どういうわけかいなくなってしまい、Tさんが一人、下の船倉の中にいた時に、ハッチが閉められ、船は出航してしまったのでした。後で、彼が船の乗組員に発見された時には、もう船は引き返すことはできませんでした。彼はパナマまで連れて行かれることになり、冒険心の旺盛な彼は、あらゆる冒険に与ることになったのでした。

 親切なノルウェー人の水夫との出会い、パナマでの拘束、そして帰国。.この時の体験が後々のTさんの生涯に大きな影響を与えることになりました。国籍を越えて助け合う精神、何が起っても動じない信仰など、その経験で培われたものはたくさんあったようです。私は、彼の話を聞きながら、彼の寛容な心、新しいことに物怖じしないで取り組む精神の秘訣が、理解できたように思えました。

 昨日、息子たちが朝の九時に無事秋田に着いたとの知らせが妻からありました。彼らは岩手県の雫石(しずくいし)駅で夜を明かしたそうで、娘が駅前のベンチで眠って いる間、息子はそれを見守りながら、一睡もせずに朝まで起きていたということです。案の定、これは彼らとって、とても楽しい冒険になったようでした。この経験は、彼らのこれからの人生の肉となり血となることでしょう。

「かわいい子には旅をさせよ」と昔から言われていますが、本当にこれは、深く真実な言葉だと思います。彼らに貴重な経験をさせてくださった主に感謝です。

わたしがあけぼのの翼をかって海のはてに住んでも、あなたのみ手はその所でわたしを導き、あなたの右のみ手はわたしをささえられます。 (詩篇一三九篇九節、十節)

また子たちに対するように、あなたがたに語られたこの勧めの言葉を忘れている、「わたしの子よ、主の訓練を軽んじてはいけない。主に責められるとき、弱り果ててはならない。 主は愛する者を訓練し、受けいれるすべての子を、 むち打たれるのである」。

あなたがたは訓練として耐え忍びなさい。神はあなたがたを、子として取り扱っておられるのである。いったい、父に訓練されない子があるだろうか。

…すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる。

(ヘブル人への手紙十二章五~十一節)

もしあなたが、徒歩の人と競争して疲れるなら、どうして騎馬の人と競うことができようか。もし安全な地で、あなたが倒れるなら、ヨルダンの密林では、どうするつもりか。

                                                                    (エレミヤ十二章五節)