善をもって悪に打ち勝つ  二〇一三年秋 ひとしずく一二八一

悪をなす者のゆえに、心を悩ますな。不義を行う者のゆえに、ねたみを起すな。彼らはやがて草のように衰え、青菜のようにしおれるからである。

主に信頼して善を行え。そうすればあなたはこの国に住んで、安きを得る。

主によって喜びをなせ。主はあなたの心の願いをかなえられる。

あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ、主はそれをなしとげ、あなたの義を光のように明らかにし、あなたの正しいことを真昼のように明らかにされる。

主の前にもだし、耐え忍びて主を待ち望め。

おのが道を歩んで栄える者のゆえに、悪いはかりごとを遂げる人のゆえに、心を悩ますな。

怒りをやめ、憤りを捨てよ。心を悩ますな、これはただ悪を行うに至るのみだ。

悪を行う者は断ち滅ぼされ、主を待ち望む者は国を継ぐからである。

悪しき者はただしばらくで、うせ去る。

あなたは彼の所をつぶさに尋ねても彼はいない。

しかし柔和な者は国を継ぎ、豊かな繁栄をたのしむことができる。

(詩篇三十七篇一~十一節)

 これはダビデの歌となっています。ダビデは、サウル王に忠誠を尽くしたのに、サウル王は、ダビデが自分よりも民に慕われているのを見て、妬み、殺そうとしました。

 しかし、ダビデは自分の命を狙うサウルを、殺してしまう機会は何度もありましたがそうはしませんでした。しかも、サウル王が敵との戦いで死んだ時、それを喜んだのではなく、嘆き悲しんだのです。

 イエス様は「あなたの敵を愛しなさい」と教えられました。

現代では、ますます不正がマスコミで報じられ、また自分の身近でもそれを目にしたりして、憤慨したくなる時がよくあります。しかし、この詩篇三七篇やイエス様の言葉の意味をよく考え、その教えを心深くに取り入れることによって、世の悪に染まったり、流されないようにしている必要があると思いました。

 詩篇の次の言葉は、人の不正に対して憤慨し続けているなら、自分自身が、悪を行うに至ってしまうと告げています。

主の前にもだし、耐え忍びて主を待ち望め。おのが道を歩んで栄える者のゆえに、悪いはかりごとを遂げる人のゆえに、心を悩ますな。 怒りをやめ、憤りを捨てよ。心を悩ますな、これはただ悪を行うに至るのみだ。(詩篇三十七篇七、八節)

 悪に対して、私たちは、怒りをもって対抗することはできません。

 私たちが、自分の怒りや憎しみの力に委ねるなら、私たち自身が望んでいない悪を行うことになってしまいます。憎しみ、復讐は、さらに悪い結果を招くことになるでしょう。

悪に対しては、神が裁かれます。では私たちは何をするべきなのでしょう?

 聖句には「主に信頼して善を行う」ようにと書かれています。

 そうです。こうした周りで行われる不正が多くなる時、私たちは主に信頼して善を行い続けなければなりません。

  ともすると、こんなバカ正直なことをしていたら損をする、私はいつか破産をしてしまうだろう、というこの世の考えに誘惑されてしまいます。しかし、こういった悪魔の囁きを否定して、善を行う、親切を行うことは、主が喜んでくださるから、そして主がそれを祝福して下さり、主が見ていて下さるという、主への信頼関係によって動機づけられるのだと思います。

 全知全能で愛の存在であられる神様との親密な関係のうちに私たちが一歩踏み出す時、誰がそれを阻止できるでしょう?

 悪魔に霊感され、私たちを阻止し、妨害する者はいつでも現れるでしょう。しかし、神は、そうした妨害者ばかりではなく、悪魔さえも私たちの訴えを聞いて退けて下さるでしょう。

 今は、終わりの時であり、やがて、主が目に見える形で再びやって来られます。そして、高ぶる者は退けられます。低い者が高くされます。そして柔和な者が地を受け継ぐのです。そしてその時は間近です。

 悪い仕業に終止符が打たれる時が近いのです。

 私たちは、裁きは正しい神様に任せて、私たちがすべきことに集中する必要があります。ますます終わりの時は間近に迫っているのですから。

悪に負けてはいけない。かえって、善をもって悪に勝ちなさい。(ローマ人への手紙十二章二十一節)

 そうです。 「善をもって、悪に打ち勝つ」戦略です。向こうが悪を行ったから、こちらも悪をもって対抗する。といった戦略ではないのです。こちらの反撃は善です。親切であり、愛の報復です。

 そのために、私たちは、自分の感情と思いを超越する必要があります。私たちの思いではなく、主の思いで満たされ、私たちの司令官である方の言葉をしっかりと聞く必要があるのです。

 そうでないと、司令官の意図を誤解し、自分に対して悪を計ったと思える人が苦しい立場に立たされた時、喜んだり、仕返ししたりするという、とんでもない間違いを犯してしまいます。

 主の望まれる兵士となるために、私たちは主の思いと一つにならなければならないのです。その主の思いとは、全人類のためにご自身の命を捧げられたほどの深い愛の思いです。

 司令官を悩ませるのは、敵以上に、司令官の思いを理解してくれない部下達でしょう。私たちの戦いは血肉に対する戦いではなく、罪人に対する戦いでもなく、罪をもたらす悪に対する戦いです。そしてそれは、愛と赦しによって征服される戦いです。

どうか、私たちの司令官であるイエス様と思いを一つにすることができますように。

「目には目を、歯には歯を」と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。しかし、わたしはあなたがたに言う。悪人に手向かうな。もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい。

あなたを訴えて、下着を取ろうとする者には、上着をも与えなさい。

もし、だれかが、あなたをしいて一マイル行かせようとするなら、その人と共に二マイル行きなさい。

求める者には与え、借りようとする者を断るな。『隣り人を愛し、敵を憎め』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。

しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。

こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。

あなたがたが自分を愛する者を愛したからとて、なんの報いがあろうか。そのようなことは取税人でもするではないか。

兄弟だけにあいさつをしたからとて、なんのすぐれた事をしているだろうか。そのようなことは異邦人でもしているではないか。

それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。 

(マタイ五章三十八~四十八節)