ひとしずく4034- 真の希望を見い出す

ある姉妹が、先日、コロナについてのリンクを配信したことについて、色々と助けになったけれど、これこれと、あのことは、確かじゃないと思います。と言ってくれました。

感謝です。


 いくつものリンクが張り付けられていた人の、リンクですから、当然ながら、全部を私が理解していたわけでも、また同意していたわけでもないものです。


 私は、特にワクチンについて、読んでくださっている方に知らせたらいいと思って紹介したものです。


 しかし、それらのリンクの中には、「聖書は、実は間違っている」とか、「経済リセットは大手を振って歓迎できることだ。」と言っている動画があったようで、私はそれには同意していないことを、お伝えしようと思いました。聖書の改竄(かいざん)や間違った解釈の試みが施されてきたとしても、神ご自身が御自身の言葉を保たれると約束しておられます。


 「聖書は廃棄されることはあり得ない」(新改訳Ⅳ ヨハネの福音書10章35節)


また、経済リセットについては、自分自身もっと調べたいと思いますが、自由が代価として、支払われることになるのではないかと懸念しています。


 とにかく、それらすべての情報を、精査してから送るということは難しいので、読者の方の識別と判断にお願いしたいと思います。ありがとうございます。

 

 ところで、色々な情報の飛び交う中に生きていると、何がなんだからわからなくなってしまう時があります。多くの人がそうした事態を体験しているのではないでしょうか?


 そうした時は、少し、後ろに下がって全体像、あるいは主の示そうとしていることに波長を合わせるようにする時ですね。私はしょっちゅうこれが必要です。次のような読み物を見つけました。<https://thinkone9.com/blog/findingrealhope の翻訳>

 

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逆ポートレート・モード

 

私の携帯電話には「ポートレート・モード」と呼ばれるカメラオプションがあります。このモードでは、撮影した物や人を強調し、背景をぼかすことができます。その結果は?

 

その結果、写真の最も重要な部分が最も鮮明に見えるのです。

 

しかし、私たちの多くは、ポートレート・モードを逆に使っています。私たちのレンズは、写真の最も重要な部分をぼかしながら、人生の背景に焦点を当て続けています。その結果は?この瞬間を鮮明に見ることができず、神の動きを完全に見逃してしまう危険性があります。

 

エペソ人への手紙にはこう書かれています。

 

どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の父が、知恵と啓示との霊をあなたがたに賜わって神を認めさせ、

あなたがたの心の目を明らかにして下さるように、そして、あなたがたが神に召されていだいている望みがどんなものであるか、聖徒たちがつぐべき神の国がいかに栄光に富んだものであるか、 (エペソ人への手紙 1章17-18節)

神は、私たちが確信に満ちた希望を持てるようになることを願っておられます。特に、私たちの世界が正反対のものを提供し続けている時には。だからこそ、この瞬間に自分が何を拡大しているかを認識することが大切です。虫眼鏡のように、自分が拡大しているものは強まる一方だからです。

 

C.S.ルイスは、「私は太陽が昇ったことを信じるように、キリスト教を信じている。復活した神の子に目を向ければ、他のすべてのものの見方を照らしてくれます。

 

このひと時の囚われ人ではなく、信仰はあなたを真実と自由の場所へと導きます。その場所では、問題の重荷に目を奪われることはありません。むしろ、別の光の中でそれらを見るための知恵に恵まれています。

 

なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからである。 (コリント人への手紙第二 4章17節)

 

ご計画

 

確信とは、神は何をすべきか、いつすべきかを正確に知っていると信じることの結果です。

確信とは、神は良いお方であり、神のなさることはすべて神の善い御性質と一致しているという個人的な確信のことです。


確信とは、神がこの瞬間に目的を持っておられることを知ることであり、神には計画があるという安心感です。

それは、時の満ちるに及んで実現されるご計画にほかならない。それによって、神は天にあるもの地にあるものを、ことごとく、キリストにあって一つに帰せしめようとされたのである。 (エペソ人への手紙 1章10節)

あなたがたもまた、キリストにあって、真理の言葉、すなわち、あなたがたの救の福音を聞き… (エペソ人への手紙 1章13節)

 そしてあなたがたも、主にあって共に建てられて、霊なる神のすまいとなるのである。 (エペソ人への手紙 2章22節)

 

世界が崩壊すればするほど、神が壊れたものをすべて回復されるのを見るのが間近になります。神の民である私たちは、このプロセスにおいて最も重要な要素の一つです。私たちは 「このような時のために 」造られたのです。今こそ、この現実に目を向ける時です。この瞬間を最大限に活用するため主のご計画に沿って...。

 

主に信頼する

 

神のご計画に関しては、神への信頼が基盤となります。聖書は、神の方法と考えが私たちよりも高いことを明らかにしています。神の知恵は、滅びゆく世界には愚かなものに見えます。言い換えれば、神様はいつも私たちが完全に理解できるような方法で行動しているわけではありません。ありがたいことに、神様は私たちに信仰のある人々を模範として与えてくださいました。

彼は望み得ないのに、なおも望みつつ信じた。そのために、「あなたの子孫はこうなるであろう」と言われているとおり、多くの国民の父となったのである。 (ローマ人ヘの手紙 4章18節) 

だから、彼は義と認められたのである。 しかし「義と認められた」と書いてあるのは、アブラハムのためだけではなく、 わたしたちのためでもあって、わたしたちの主イエスを死人の中からよみがえらせたかたを信じるわたしたちも、義と認められるのである。 主は、わたしたちの罪過のために死に渡され、わたしたちが義とされるために、よみがえらされたのである。 (ローマ人への手紙 4章22-25節)

 

神のご計画は完璧ですが、人生の状況はそうではありません。私たちは皆、「希望が持てない」季節を経験します。自分の限られた視野とコントロールを超えたところに追い込まれることがあります。そのような時こそ、私たちは神の約束にしがみつきます。

 

どんなに困難な状況でも、神の目的が勝つことを信じます。私たちは、神が私たちを救い、義と宣言してくださったことを覚えています。私たちの信仰は、私たち自身の働きではなく、イエス様を生き返らせた神の力にかかっています。この計画は、「私たち」がすべてを乗り越えるためのものではありません。むしろ神に信頼しているからこそ、そのようになるのです。

 

実り豊かであり続ける 

わたしたちは、善を行うことに、うみ疲れてはならない。たゆまないでいると、時が来れば刈り取るようになる。 (ガラテヤ人への手紙 6章9節)

 

ガラテヤ人は、善を行うことにうみ疲れないことを勧めています。なぜなら、善を行うことは、ある意味、社会の流れに逆らうことが多いからです。つまり、私たちが行う良いことには、個人的な犠牲が伴います。だからこそ、神様はこの方程式には二つの面があることを教えてくれます。

 

使徒パウロは、ピリピ教会から贈り物をもらったとき、主を喜びました。しかし、彼の喜びは、自分が受け取ったものではなく、これらの人々が天の口座に入金したことを知ったことにありました(ピリピ4章17節を参照)。覚えていてください。忠実さは実りをもたらします。

 

神は私たち一人一人に、プレッシャーに負けないように呼びかけておられます。キリストを中心としたコミットメントと、信仰の問題で妥協しないことで生きるように。神に促されて、真実を語り、沈黙を守り、歩み寄って他の人に仕えようとする度に、代価がかかります。

 

しかし、イエスの手と足となるための「代価」は、実際には長期的な投資にすぎません。主のご計画は、短期的な痛みを伴うかもしれませんが、それは永遠の利益に勝るものです。信仰がなければ、神を喜ばせることはできないことを覚えておいてください(ヘブル人への手紙11章6節参照)。

 

あなたの努力が決して無駄にならないことを知っているという信仰を持ちましょう。神があなたに蒔かれたすべての信仰の種に水を注いで下さるにちがいないという信仰を持ちましょう。あなたがしていることは、すべて成果につながっています。

 

勝利を宣言する

 

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。  …すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。

この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。 光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。 (ヨハネの福音書1章1節, 3-5節)

 

イエス様は、ランプに火をつけてそれを隠す人はおらず、むしろ、入る人すべてに光を与えるために台の上に置かれていると言われました(ルカの福音書11章33節参照)。この光を受けた人は、今こそ、暗い世界にイエス様の光を照らすことができるのです。信仰は希望を抑え込むことではなく、希望を公言することなのです。

 

他の人にとっては、譲れない一線を引いて、自分の確信を明示する瞬間です。霊的な戦いの中にいて、勝つためには光の中に入っていくしかないことを認めることです。聖書には、イエス以外に救われる名前はないとはっきり書かれています(使徒行伝4章12節)。

 

すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。 (ローマ人への手紙 10章9節)

 

あなたの人生には、キリストの光が乗り越えられない闇はありません。今こそ、キリストに呼びかけ、光を取り入れる時です。今がその時です。勝利を宣言する瞬間です。

<https://thinkone9.com/blog/findingrealhopeからの引用翻訳終わり>

 

 

各自が、主の導きのうちに真理を知り、御心のうちに確信をもって立ち、希望を抱いて約束のものを得るまで、待ち望みつつ忠実であれますように。主の恵みが豊かにありますように!