王者の小羊としての生き方

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上のリンクは、見てとても感動させられるものでした。デバイスによっては、画像を見れないかもしれませんが、クリックしてみて下さい。

十字架が真ん中に、そして上には大きなライオンの顔、十字架の下には柔和な小羊が描かれています。イエス様のお姿です。

「…ユダ族のしし、ダビデの若枝であるかたが、勝利を得た…」。 「ほふられた小羊こそは、力と、富と、知恵と、勢いと、ほまれと、栄光と、さんびとを受けるにふさわしい」。  (黙示録5章5,12節)

全世界を治める王者であり、全世界の罪のためにほふられる小羊であられる方…。イエス様は、天の父に願うと、天のみ使いの軍団を送って頂くことができるのに、御自分の任務を忠実に果たすためにそれをされませんでした。

(イエス:) 「…それとも、わたしが父に願って、天の使たちを十二軍団以上も、今つかわしていただくことができないと、あなたは思うのか。 しかし、それでは、こうならねばならないと書いてある聖書の言葉は、どうして成就されようか」。 (マタイの福音書 26章53-54節)

キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、 かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、 おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。

それゆえに、神は彼を高く引き上げ、すべての名にまさる名を彼に賜わった。 それは、イエスの御名によって、天上のもの、地上のもの、地下のものなど、あらゆるものがひざをかがめ、 また、あらゆる舌が、「イエス・キリストは主である」と告白して、栄光を父なる神に帰するためである。 (ピリピ人への手紙 2章6-11節)

私達は、イエス様のみ足の後を踏み従うようにと模範をイエス様に示して頂きました。私達は、イエスを信じて神の子とせられた時、私達を神の国とし、また祭司として召して下さいました。

…私たちを愛し、その血によって私たちを罪から解き放ち、また、ご自分の父である神のために、私たちを王国とし、祭司としてくださった方に、栄光と力が世々限りなくあるように。アーメン。(黙示録1章5,6節)

「王国」「祭司」素晴らしいタイトルで、それこそ、動物で言ったら王者ライオンの役割のようですが、この地上での私達の務め、召しと言ったら、王の王であられ、神であられた方がほふられる小羊として生き、死なれたその見本にならう者となることです。

あなたがたは、実に、そうするようにと召されたのである。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、御足の跡を踏み従うようにと、模範を残されたのである。 キリストは罪を犯さず、その口には偽りがなかった。 ののしられても、ののしりかえさず、苦しめられても、おびやかすことをせず、正しいさばきをするかたに、いっさいをゆだねておられた。 (ペテロの第一の手紙 2章21-23節)

(祈り:)主イエスよ、あなたが道です。すぐくじけて、下を向いてしまう私達をおゆるし下さい。あなたに目をとめて、あなたについて行けますように。そして人々があなたの光を見ることができますように。御名に栄光!