光についてのあかし

ここにひとりの人があって、神からつかわされていた。その名をヨハネと言った。 この人はあかしのためにきた。光についてあかしをし、彼によってすべての人が信じるためである。 彼は光ではなく、ただ、光についてあかしをするためにきたのである。

(ヨハネ1章6~8節)

このヨハネは、バプテスマのヨハネと言われているヨハネのことであって、このヨハネの福音書を記したイエスの12弟子のヨハネのことではありません。(ヨハネ1章24節 参照)

…イエスはヨハネのことを群衆に語りはじめられた、「あなたがたは、何を見に荒野に出てきたのか。…預言者を見るためか。そうだ、あなたがたに言うが、預言者以上の者である。 『見よ、わたしは使をあなたの先につかわし、あなたの前に、道を整えさせるであろう』と書いてあるのは、この人のことである。 あなたがたによく言っておく。女の産んだ者の中で、バプテスマのヨハネより大きい人物は起らなかった。

(マタイ11章7~11節a)

イエスは、バプテスマのヨハネは、「預言者以上の者」であり、「女の産んだ者の中で、バプテスマのヨハネより大きい人物は起らなかった」と言いました。このヨハネは、非常に重要な存在です。彼に与えらた使命が、彼を重要な者にしていました。

預言者は神の言葉を神より託されて、それを人々に伝えます。預言者は、国の将来、また王や指導者に何が起こるかを伝えたり、邪悪な行いを戒める警告や裁きのメッセージを伝えたりします。イエスさまはこのヨハネは、そうした預言者以上の者であると言われたのです。

このバプテスマのヨハネについては、当時のローマのユダヤ人歴史家ヨセフスも記しています。彼は、神によって力づけられたその業によって、全国民に知られ、有名な存在となっていました。そしてイエスさえも、彼が女性が産んだ者の中で最も偉大な人物だと言ったのです。

しかし、聖書にはこうあります。

彼(ヨハネ)は、光ではなく、ただ光についてあかしするためにきたのである。

(ヨハネ1章8節)

ヨハネは光ではない、と明言しています。ただ光についてあかしをしているのだ、と。バプテスマのヨハネの使命は、命であり、光である神ご自身を指し示し、その方の出現のための道を備えることでした。

そして(霊的に)死んでいる人達、暗闇の中にいる人たちに「命」と「光」を示す使命でした。彼は、その使命に忠実でした。すべての人が信じるために、光である神を証していたのです。

このヨハネの使命は、光であるイエスを信じる者達の使命と類似しています。ヨハネは、人々の関心を自分自身に引き付けて、自分を高めることはしませんでした。そうではなく、ただイエスという光に、人々の注目と関心を向けさせようとしました。

私たち、イエスを信じる者も同様に、イエス・キリストの証人としての役割を果たす際にイエスを指し示します。イエス様とはどういうお方であるのか、どのようにして、自分を救って下さったかを人々に告げ知らせるのです。そして光が高められるなら、光の証人たちの務めは果たされたことになります。

ヨハネは後で、次のようにも証言しています。

「彼(イエス)は必ず栄え、わたし(ヨハネ)は衰える」。

(ヨハネ3章30節)

ところで、バプテスマのヨハネがいかに大きな存在であるかとイエス様が語られた後に、次の言葉が続いています。

「しかし、天国で最も小さい者も、彼(バプテスマのヨハネ)よりは大きい」 。

(マタイ 11章11節b)

ヨハネは、光である神の到来について証しました。しかし、同じくその光について語る私達は、その実現を証するのです。つまり、この光が実際に、私たちの内に宿っておられることを証するのです。

光であり、命であるイエスを信じて受け入れた者は、その命と光を自分の内に持つようになり、ただそれを予告し、語る者以上の恵みにあずかり、約束の実現、成就となるのです。私たち、天国に与かる者は、偉大なヨハネのあかしよりも、より大いなるあかしを持っているのです。

…神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」。

(ルカ 17章21節)

…わたしたちは、この宝を土の器の中に持っている。その測り知れない力は神のものであって、わたしたちから出たものでないことが、あらわれるためである。

(第二コリント 4章7節)

主よ、栄光をわれらにではなく、われらにではなく、あなたのいつくしみと、まこととのゆえに、ただ、み名にのみ帰してください。

(詩篇 115篇1節)

<祈り> どうか私達を通して輝く光が、イエス様、あなたであることを人々が知ることができますように。私ではなく、あなたのみ名にのみ栄光が帰されますように。