ヨハネの福音書三章 パート1

「ヨハネの福音書三章」

<クラスのはじめに>

今、A・Wトウザーの「神への渇き」という60年以上前に書かれた本を読んでいます。タイトルからもわかるように、神に対して飢え渇きを持つことの大切さが語られている内容なのですが、今はこれまでの時代以上に、この神への渇きというものが必要とされているのではないかと思います。今、私たちは不安定な世界情勢や自然災害、コロナなど、様々な問題に囲まれ、今までとは違ったことがどんどん起って来ていて、聖書的な観点から言ったら、いよいよ終わりの時だと感じます。

肉体を持っている私たちのことですから、どうしても霊のことより、目に見える周りの問題の方が気になってしまいます。それを全然気にしてはいけないということではもちろんないです。「賢い者は災を見て自ら避け・・・」(箴言22章3節)とあるように、状況がどうであるかということはいくらか知っているべきであり、正しく恐れて、それに対処するべきだと思います。

しかし、それらのことがあまりにも気になって、不安と心配でいっぱいになり、夜眠れないとか、ストレスを抱え喜びもないという状態になってしまうなら、何かが間違っています。主に信頼せずに、問題を見つめて不安や恐れでいっぱいになっていると、敵はそこに侵入口を見つけ、さらなる恐れや不安で煽り、敵の思考回路という罠に陥らせてしまいます。敵の周波数によってコントロールされてしまうのです。それによって、苦々しい思い、批判や不和や絶望、またストレスや不眠、病気などに発展して、何の喜びもない、という状態に陥って行くのです。警戒しなければなりません、これは敵の策略なのです。

今、そういう状態にある人がいるなら、立ち止まって主との時間を取り、祈ってみる必要があると思います。このような状態に陥らないための根本的な解決は、やはり神を深く愛し、神に完全なる信頼を置くことです。主は、律法の一番大切な戒めとは、「心をつくし、思いをつくし、精神をつくして、主なるあなたの神を愛せよ」(マタイ22勝37節)ということだと言われているので、私たちはこういう時代にあって、今まで以上に主への渇きをもって、神との交わりを求め、御言葉に満たされることが必要です。

義務からではなく、主を愛する気持ちゆえに主を求め、そして、その主への愛を掻き立てるのです。実は今、そのような助けになれたらと思い、A・Wトウザー氏の「神への渇き」という本を皆さんに紹介しようと、息子に翻訳をしてもらっているところです。

どうぞ、お祈りしていてください。これを冊子にしたり、最近開設したブログにもアップロードし始めました。また、ヨハネの福音書などの聖書クラスもブログにアップロードし始めています。「ダーク・トゥ・ライト」というブログです。ぜひ見てください。⇒https://darktolight.jp

次から次へと色々なことが起って来ている現代ですが、そういう中で、私たちが第一に置くべきものを第一に置けるように、静まって祈ったり、御言葉で満たされる時間を割くことは必須なことだと思います。

このヨハネの福音書の学びも、主への愛や御言葉に満たされるために用いられたら嬉しいです。

―パート2に続く