「ヨハネの福音書三章」 (2020年8月7日クラス)

<霊のうちに新しく生まれ変わる>

イエス様はニコデモに、神の国に入るには、霊のうちに新しく生まれ変わることが必要であることを語られ、それを風にたとえて説明されました。そのことについて、もう少し触れておきたいと思います。

被造物は神の御性質を表しているので、それらのものを通して神の存在を見ることができます。また、天国や霊のことについても自然界を通して、理解する助けになります。福音書を見ると、イエス様はほかにもこの地上の自然をたとえに用いて、いろいろなことを教えて下さいました。

そのイエス様が語られたたとえ話の中には、種についての話がよく出てきます。種は実に不思議で神秘的なものです。種はそのままではいくら時間が経っても種のままです。しかし、土の中に埋めたり水に浸けると、変化を起こし命が芽生えるのです。

母が十年以上も前に瓶に詰めて保存していたきびの種がありました。数年前に、その種が育つかどうか、試しに土に埋めてみたことがありました。そうしたら見事に芽を吹き出し、実りをもたらしてくれたのです。本当に、神様の創造の神秘には圧倒させられます。

さて、イエス様がされた種のたとえ話の中に、「一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。」(ヨハネ12章24節)というのがあります。種が地に落ちることを、イエス様は死ぬと表現しています。種が地に落ちないなら、一粒のままで何の変化もない。しかし、地に落ちるなら、その時から今まで全く考えたこともないような新しいことが始まる。つまり、死んだ時から、新しい命が始まると言われたのです。その後のイエス様の言葉はこう続きます。「自分の命を愛する者はそれを失い、この世で自分の命を憎む者は、それを保って永遠の命に至るであろう。」(25節)

私たちは、豊かに実を結ぶために創造されました。私たちという種の中には、もうすでに命と神の御計画が組み込まれているのです。しかし、そのままでは神の御計画は成されません。それは地に落ちて、つまり古い肉の思い、自分中心の思いに死んで初めて、新しい命と人生が始まるのです。

そこから、主の御計画しておられた実を結び始めます。それが霊の内で生まれ変わるということです。それはイモムシがチョウになるのにも似ています。イモムシがチョウになる時に、さなぎになります。全く死んだように動かなくなり、イモムシライフが終わったかのように見えます。しかし、その死んだように見える状態の中で、自分が想像もしていなかった全く新しく今までとは違った形の生き方が始まるのです。

私たちの内にも、神さまは思いもよらない美しく素晴らしい御計画を組み込んでおられます。私たちがこの世で人生はこのようなものだと思い込まされ、ただ食べるために働いて、そして死んで行く、神様が御計画されている人生は全くそのようなものではない、もっと素晴らしいものなんだよ、とイエス様は言っておられるのです。そして、イエス様は私たちに、その人生を選択して求めてほしいと願っておられます。この素晴らしい神からの贈り物を得るには、ただイエス様を信じ、受け取るだけなのです。自分を新しくするため、またもっと美しくより強く、より多くの能力を得るために、遺伝子の組み換えをしたり、自分に機械をとりつけてサイボーグにならなくてもいいのです。

私たちはただ、創造者である神に委ね、イエス様を信じることによって新しくされるのです。

神の霊によって新しく生まれると、すぐにはわからなくても、次第に人生の変化を感じるようになります。そしてそれは、自分の力から出たものではないことがわかるのです。外側を見たら変わらない人間に見えるかもしれないけれど、内側には大きな変化が起こっている。あるいは、内側の変化によって外側まで、行動が態度が顔つきまでもが、誰が見ても別人のように変わることもあります。

神は確かに自分の内に宿って下さり、心に働きかけ、神を求める願いを与えて下さいます。そして今までとは違った価値観、違った希望、違った喜び、違った渇望を持つ、全く違った人生に変えられて行くのです。

ニコデモも、そのように変えられた人の一人でした。気づかぬ内に、イエス様のために弁護している自分がいる。あんなに自分の地位を失うことや仲間のパリサイ人や祭司たちの目を恐れていたのに、白昼堂々と人目をはばからずに、イエス様の遺体をアリマタヤのヨセフと共に墓に納めている自分がいる。自分はいつの間に、どうしてこのように変化したのか・・・。しかし、彼には理解できなくても、確かに変化が起こっていたのです。それが霊の内に新しく生まれ変わるということであり、神の御霊によって突き動かされているということなのです。イエス様は種が地に落ちて死ねば豊かに実を結ぶと言われましたが、ニコデモの自分を顧みないこの行為が、周囲の人々に大きな影響を与え、イエス様への信仰へと導いたことは間違いないと思います。そして、ニコデモのその後の人生にも、豊かな実りを主がもたらして下さったと信じます。

この霊の内に生まれ変わって始まった新しい人生は、私たちのうちにも実りをもたらしてくれていると思います。自分が見える範囲では、とてもそうは思えないかもしれませんが、見えないところで実がたわわにもたらされているかもしれません。イエス様がそう言われたのですから、きっとそうであると信じます。

御霊によって新しく生まれ変わった人生が、これからも主と共に歩むことで、豊かに実を結びますようにと祈ります。