ヨハネの福音書三章 パート2

「ヨハネの福音書三章」

<パリサイ人について>

このヨハネ3章というのは、聖書の福音の要約であるとも言われています。特に、16節の「神はそのひとり子を賜ったほどにこの世を愛してくださった、それは御子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」という言葉は、宗教改革者のマルチン・ルターが聖書の縮図として、「小さな聖書」「小さな福音書」と呼んだように、聖書全体のメーツセージが要約されている聖句だと思います。証をする際にも最も多く引用される、クリスチャンであるなら誰もが知っている聖句ではないかと思います。

では、このヨハネの福音書3章を読んでいきましょう。

パリサイ人の一人でその名をニコデモというユダヤ人の指導者があった。この人が夜イエスのもとに来て言った。「私たちはあなたが神から来られた教師であることを知っています。神がご一緒でなければ、あなたがなさっているような印は誰にもできはしません。

イエスは答えて言われた。よくよくあなたに言っておく。「誰でも新しく生まれなければ神の国を見ることはできない。」

(1~3節)

パリサイ人であるニコデモがイエス様のところに夜にやって来たとあります。ニコデモの話に入る前に、まずパリサイ人について触れておきたいと思います。

パリサイ人とは、厳格にモーセの律法と先祖からの伝統や言い伝えを守っていたユダヤ教内のグループの一つパリサイ派に属していた人たちのことで、当時六千人ほどいたと言われています。パウロもこのパイサイ派に属していました。パリサイ派のほかにもサドカイ派、エッセネ派、熱心党、ヘロデ党などがあり、祭司の多くはサドカイ派に属し、律法学者の多くはパリサイ派に属していたと言われています。パリサイ人とは、「分離した人」という意味の言葉から来ていて、無学な罪びとの民衆たちと自分たちとを分け隔て、自分たちは律法を厳格に守る正しく清い者であると自負していました。

しかし、律法をよく知っていたはずの彼らの多くは律法で預言されていた救い主イエス様がわからなかったのです。聖書には、このパリサイ人らがイエス様に敵対する場面が度々登場します。そしてイエス様は弟子たちに、「パリサイ人とサドカイ人とのパン種を、よくよく警戒せよ」(マタイ16章6節)と言われました。

パン種というのはパンを作る時に使う酵母、イーストのことですが、イスラエルではすでに発酵したパン生地の小片を取っておき、それを新しい粉に練りこんでパンを焼きました。パン種はほんのわずかでもパン全体を膨らませることができます。そして、イエス様が言われていたパリサイ人のパン種は何かというと、彼らの教えのこと(マタイ16章12節参照)であり、彼らの教えとは愛と恵みの伴わない律法主義です。彼らの教えに触れると、パン種がパン全体を膨らませるように、考え方や行動全体に影響が及んで聖書の真理が見えなくなってしまうのです。当時のイスラエルの国においての権力者は宗教指導者たちでした。ですから、彼らが治めるイスラエルの国全体に、彼らの教えが生活の隅々にまで浸透していたと思います。神の真理が、彼らの偽善、人間が作り上げた言い伝えや宗教的な迷信など、無意味でどうでもよいものに取って替えられ、民衆は惑わされ見えなくされていたのです。イエス様の弟子たちでさえ、そういう影響を受けていたと思います。だからイエス様は、パリサイ人やサドカイ人のパン種に警戒しなさいと言われたのです。

(*新約聖書において「パン種」という言葉は、悪い影響を与え真理から背かせようとする象徴として用いられています。第一コリント5章6~8節、ガラテヤ5章7~9節を参照してください。)

そのパリサイ人などの宗教指導者たちは、自分たちの地位や権威を保持するために、救い主であるイエス様を拒否し、十字架につけ殺してしまいました。自分は知っていると思っていた彼らは、実は見えていない者たちでした。しかし彼らは、自分たちは神の律法を忠実に守り、よくやっているエリートな人間だと思っていたのです。おそらくこの時のニコデモも、そんなパリサイ人の一人だったと思います。

ーパート3に続く