水がぶどう酒に変わる。これはただの物語ではありません。歴史上、実際に起った事実です。科学的に説明不可能な本当の奇跡です。

そしてこの奇跡をヨハネは「しるし」と記していますが、それはイエス様がメシアであることのしるしです。このしるしは、イエス様を信じ従ってきた弟子たちに、さらなる確信を与えることになったのです。

またもう一つ、見落としてしまいがちなのですが、この奇跡が成される過程の全てを目にしていたのは、弟子達でも花婿でも料理がしらでもなく、婚礼の給仕として仕えていた僕たちだったということです。ヨハネ2章9節にはこうあります。

「料理がしらは、ぶどう酒になった水をなめてみたが、それがどこからきたのか知らなかったので、(水をくんだ僕たちは知っていた)・・・」

(ヨハネ 2:9)

ヨハネは、わざわざ「水をくんだ僕たちは知っていた」と記しています。そしてこの奇跡は、その目撃者である僕たちから、イエス様の弟子たちやその婚礼に来ていた人たちに伝えられたことでしょう。

イエス様の成された奇跡は聖書にしるされているものだけで30以上ありますが、その最初の奇跡に携わり、目撃がしたのが僕たちだったのです。それは、救い主イエス様の誕生の知らせが、一番最初に羊飼いたちに知らされたことを思い起こさせ、小さき者に注がれる神の深い愛を思わせられます。

それと対照的に、メシアとしてのしるしを示すようにイエスに迫って要求した、尊大な律法学者やパリサイ人らには、イエスの神性は隠されていて、彼らは霊的な暗闇に取り残されていました。主はへりくだる者に真理を示されます。

…イエスは声をあげて言われた、「天地の主なる父よ。あなたをほめたたえます。これらの事を知恵のある者や賢い者に隠して、幼な子にあらわしてくださいました。

父よ、これはまことにみこころにかなった事でした。 すべての事は父からわたしに任せられています。そして、子を知る者は父のほかにはなく、父を知る者は、子と、父をあらわそうとして子が選んだ者とのほかに、だれもありません。

(マタイ 11:25-27)