神によって生まれる

それらの人は、血すじによらず、肉の欲によらず、また、人の欲にもよらず、ただ神によって生れたのである。

(ヨハネ 1章13節)

 それらの人というのは、イエス様を信じた人たちのことです。この節の重要な点は、「神によって生まれた」ということです。聖書の他のところにもこうあります。

…父は、わたしたちを、…真理の言葉(ロゴス)によって御旨のままに、生み出して下さったのである。

(ヤコブ1章18節)

民族によって、また人によっても異なりますが、家系、血筋がとても重んじられる場合があります。特にユダヤ人にとってはそうでした。彼らは、ユダヤ人以外の人との交わりが禁じられていた時代もありました。ですから、その人がどんな血筋、家系なのかというのは、とても大事なことでしたが、「血すじによらず」つまり血筋に関係のないことであると言っていることは、ユダヤ人にとっては全く新しいことでした。

処女マリヤが聖霊によって身ごもってイエスが生まれたように、イエスを信じ受け入れる者も、神の御霊、聖霊によって新しく生まれるのです。

「その胎内に宿っているものは聖霊によるのである」

(マタイ1章20節)

 改訳聖書Ⅳのヨハネの1章13節の訳では「この人々は、血によってではなく、肉の望むところでも人の意志によってでもなく」とあります。

 肉の欲や人の意志vs御霊の思いや神の意志との対比について、次のような聖句があります。

 肉の思いは死であるが、霊の思いは、いのちと平安とである。

(ローマ 8章6節)

 私たちは神の尊い御姿に似せて造られてはいても、アダムとイブ以来、全ての人に罪が入ってしまっている状態です。そして「罪を犯す者は罪の奴隷」(ヨハネ8章34節)であるとイエスが言われているように、神から離れた状態は、罪に支配された状態であるのです。そしてそれは霊的に「死んだ」状態であるとも言われています。

 しかし、神はそうした状態から新しく「生まれ」「神の子」となることができるようにしてくださいました。それは神の霊によってなされることです。

しかし、神の御霊があなたがたの内に宿っているなら、あなたがたは肉におるのではなく、霊におるのである。 …もし、キリストがあなたがたの内におられるなら、からだは罪のゆえに死んでいても、霊は義のゆえに生きているのである。…すべて神の御霊に導かれている者は、すなわち、神の子である。

(ローマ 8章9~14節)

 そういうわけで、罪の奴隷であり、死んだ状態から、新しく生まれ変わるには、神の御霊に導かれる必要があるのです。

 イエス様を救い主として信じ、受け入れた人は、神によって霊の内で新しく生まれた神の子です。

どれほど、神を認めない人々に囲まれていても、イエスを信じた人はその中にあっても「神の子」として生きることができるのです。主は、あなたの祈りを聞かれ、神の子として歩めるように、導いてくださいます。