天が開けて

ナタナエルは答えた、「先生、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です」。

イエスは答えて言われた、「あなたが、いちじくの木の下にいるのを見たと、わたしが言ったので信じるのか。これよりも、もっと大きなことを、あなたは見るであろう」。

また言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。天が開けて、神の御使たちが人の子の上に上り下りするのを、あなたがたは見るであろう」。

(ヨハネ 1章49~51節)

 「あなたは神の子です。イスラエルの王です」と信仰告白するナタナエルに、イエス様は「あなたが、いちじくの木の下にいるのを見たと、わたしが言ったので信じるのか。これよりも、もっと大きなことを、あなたは見るであろう」と言われました。そして、「天が開けて、御使たちが人の子の上に上り下りするのを見るだろう」と。

この言葉を聞いたナタナエルとピリポは、きっと彼らがよく聞いてきた律法(旧約聖書)にあるヤコブの話を思い出したことでしょう。

ヤコブは眠りからさめて言った、「まことに主がこの所におられるのに、わたしは知らなかった」。そして彼は恐れて言った、「これはなんという恐るべき所だろう。これは神の家である。これは天の門だ」。

(創世記 28章16,17節)

イエス・キリストは、神と人との仲保者、天と地の架け橋として地上にやってこられました。それはヤコブの夢の話で言えば、天と地をつなぐはしごの役割を果たすものです。そしてそのはしごは、天の門に通ずるもの、いえ天の門そのものでありました。

かつて人々はバベルの塔という天まで届くような塔を建てようとしました。罪深い自分達を襲う大きな洪水が来ても救われるよう、つまり自力で救われ、天の国に入るために。しかし、それは神に崩されてしまいました。(創世記11章1~9節)

ところが天に通ずる救いのはしごを、神のほうから地上に下ろしてくださったのです。それが天から下って、天に通ずるはしご、天の門となってくださった方、神であられるのに、人となって来てくださったイエス・キリストなのです。

「よくよくあなたがたに言っておく。天が開けて、神の御使たちが人の子の上に上り下りするのを、あなたがたは見るであろう」とイエス様が言われたのは、ナタナエルやピリポにこのヤコブの話を思い出させ、「これからあなたがたは天が開かれるのを見るだろう。それにより驚くべき奇跡の数々、天の神の力を目撃することになり、また何よりも、天に通ずるはしごであり門そのものである救い主、生ける神を見る(体験する)ことになるだろう」ということを示唆していたことでしょう。