執筆者 iesunoakashibito | 1月 1, 2023 | 信仰-希望-愛
執筆者 iesunoakashibito | 10月 9, 2022 | 時をこえて--信仰篇
ひとりで… (時をこえて–信仰篇 2022/10/9) 信仰の人、というときっとあの有名な「アブラハム」のことを思い出すこと人が多いことでしょう。 信仰によって、アブラハム(当時アブラム)は、受け継ぐべき地に出て行けとの召しをこうむった時、それに従い、行く先を知らないで出て行った。(ヘブル 11章8節)...
執筆者 iesunoakashibito | 9月 1, 2022 | 時をこえて 365
主の兵士としての訓練 二〇一三年秋 ひとしずく一二七二 息子たちが、自作の弓で的を射る遊びに興じていました。大きくなっても、やはり男の子だと思いました。 私も弓矢を借りて、的を狙いましたが、なかなか当たりません。丸く描かれた標的が置かれていますが、その外側の段ボールの紙さえ外してしまうのです。 それで、息子に弓を返して、彼らが射るのを見ていると、なかなか命中率が高いので驚きました。真ん中の赤い丸に三本の内二本は、命中させることができるのです。 彼らは弓矢が好きだということもありますが、やはり練習に尽きるようです。...
執筆者 iesunoakashibito | 9月 1, 2022 | 時をこえて 365
<9月1日の出版にこぎつけようと思っていましたが、間に合いませんでした。そのため、まずはネットでご紹介しようと思いました。御心であれば、毎日、配信しようと思います。冊子としては、完成した際にご紹介いたします> はじめに:...
執筆者 iesunoakashibito | 7月 30, 2022 | いやし, いやし,, オーディオクラス, 信仰-希望-愛
だから、わたしたちは落胆しない。たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく。(第二コリント 4章16節) そして、天から賜わるそのすみか(復活の体)を、上に着ようと切に望みながら、この幕屋(肉体)の中で苦しみもだえている。 それを着たなら、裸のままではいないことになろう。 この幕屋(肉体)の中にいるわたしたちは、重荷を負って苦しみもだえている。…そして、肉体を宿としている間は主から離れていることを、よく知っている。 わたしたちは、見えるものによらないで、信仰によって歩いているのである。...
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