パウロのヘブル人への手紙 イントロ-3

パウロのヘブル人への手紙 イントロ-3

パウロのヘブル人への手紙 イントロ-3 したがって、ヘブル人への手紙とパウロの他の手紙との間に相違があることは驚くべきことではありません。 むしろ、相違がなければ驚くべきことです。 しかし、一部の読者や学者が、これらの相違をパウロ以外の著者が書いたことの証拠として解釈していることは、この筆者には奇妙に思えます。ヘブル人への手紙は、その具体的な考え方やギリシャ語の表現方法において、聖書の他のどの書簡よりも、またギリシャ語全般のどの書簡よりも、パウロの手紙に類似しています。...
一つ一つの戦いが勝利につながる

一つ一つの戦いが勝利につながる

勝ち得てあまりある戦い! それでは、これらの事について、なんと言おうか。もし、神がわたしたちの味方であるなら、だれがわたしたちに敵し得ようか。 ご自身の御子をさえ惜しまないで、わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、どうして、御子のみならず万物をも賜わらないことがあろうか。 だれが、神の選ばれた者たちを訴えるのか。神は彼らを義とされるのである。 だれが、わたしたちを罪に定めるのか。キリスト・イエスは、死んで、否、よみがえって、神の右に座し、また、わたしたちのためにとりなして下さるのである。...
イエスが救いの神

イエスが救いの神

ヨハネ5章1~16節の補足オーディオ イエスはエルサレムへ行かれるとき、サマリヤとガリラヤとの間を通られた。 そして、ある村にはいられると、十人のらい病人に出会われたが、彼らは遠くの方で立ちとどまり、 声を張りあげて、「イエスさま、わたしたちをあわれんでください」と言った。 イエスは彼らをごらんになって、「祭司たちのところに行って、からだを見せなさい」と言われた。そして、行く途中で彼らはきよめられた。 そのうちのひとりは、自分がいやされたことを知り、大声で神をほめたたえながら帰ってきて、...
くびきを負う

くびきを負う

主はおのれを待ち望む者と、おのれを尋ね求める者にむかって恵みふかい。 主の救を静かに待ち望むことは、良いことである。 人が若い時にくびきを負うことは、良いことである。 主がこれを負わせられるとき、ひとりすわって黙しているがよい。 口をちりにつけよ、あるいはなお望みがあるであろう。(哀歌...