オーディオクラス

ローカル・エクレシアにおけるメッセージのオーディオ・ファイルです。 

主との歩み、個人的な学び、終りの時の備え、などいろいろなテーマを取り上げたメッセージを録音したものです。(あるファイルは、録音の仕方で雑音があって、聞き取りににくいものもあります。現在改善中です)。 

成長させて下さる神

あなたがたはまだ、肉の人だからである。あなたがたの間に、ねたみや争いがあるのは、あなたがたが肉の人であって、普通の人間のように歩いているためではないか。 すなわち、ある人は「わたしはパウロに」と言い、ほかの人は「わたしはアポロに」と言っているようでは、あなたがたは普通の人間ではないか。 アポロは、いったい、何者か。また、パウロは何者か。あなたがたを信仰に導いた人にすぎない。しかもそれぞれ、主から与えられた分に応じて仕えているのである。 わたしは植え、アポロは水をそそいだ。しかし成長させて下さるのは、神である。...

高い山に登られた

六日ののち、イエスはペテロ、ヤコブ、ヤコブの兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。(マタイ 17章1節) 主の使は再びきて、彼にさわって言った、「起きて食べなさい。道が遠くて耐えられないでしょうから」。 彼は起きて食べ、かつ飲み、その食物で力づいて四十日四十夜行って、神の山ホレブに着いた。(1列王記...

すべての道で

詩篇46篇 神はわれらの避け所また力である。悩める時のいと近き助けである。 このゆえに、たとい地は変り、山は海の真中に移るとも、われらは恐れない。 たといその水は鳴りとどろき、あわだつとも、そのさわぎによって山は震え動くとも、われらは恐れない。〔セラ 一つの川がある。その流れは神の都を喜ばせ、いと高き者の聖なるすまいを喜ばせる。 神がその中におられるので、都はゆるがない。神は朝はやく、これを助けられる。 もろもろの民は騒ぎたち、もろもろの国は揺れ動く、神がその声を出されると地は溶ける。...

主の翼の下に

心を弱くしてはならない、この地で聞くうわさを恐れてはならない。うわさはこの年にもくれば、また次の年にもくる。この地に暴虐があり、つかさとつかさとが攻めあうことがある。 それゆえ見よ、わたしがバビロンの偶像を罰する日が来る。その全地ははずかしめられ、その殺される者はみなその中に倒れる。(エレミヤ 51章46-47節)   神はわれらの避け所また力である。悩める時のいと近き助けである。 このゆえに、たとい地は変り、山は海の真中に移るとも、われらは恐れない。...

惑わされないように–まず背教

そこでイエスは答えて言われた、「人に惑わされないように気をつけなさい。(マタイ 24章4節) だれがどんな事をしても、それにだまされてはならない。まず背教のことが起り、不法の者、すなわち、滅びの子が現れるにちがいない。(第二テサロニケ2章3節) この巨大な龍、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれ、全世界を惑わす年を経たへびは、地に投げ落され、その使たちも、もろともに投げ落された。(黙示録 12章9節) いったい、キリスト・イエスにあって信心深く生きようとする者は、みな、迫害を受ける。...

最後まで

惑わされないように--まず背教 そこでイエスは答えて言われた、「人に惑わされないように気をつけなさい。(マタイ 24章4節) そのとき人々は、あなたがたを苦しみにあわせ、また殺すであろう。またあなたがたは、わたしの名のゆえにすべての民に憎まれるであろう。 そのとき、多くの人がつまずき、また互に裏切り、憎み合うであろう。 また多くのにせ預言者が起って、多くの人を惑わすであろう。(マタイ24章9-11節)...

「2026年秋始まり」説を支える七つの理念

<オーデイオのクラスの中で言われている「<教会時代とユダヤ人の時代の>艱難期の重なり」についての聖句について引用されているイクシスのサイトからの箇所を、参照のため以下に掲載しておきます https://ichthys.com/mail-eschatology-issues145.htmから抜粋翻訳:> …<前略>… *七千年の解釈は聖書に教えられており、理解され適用されるべきものです。 *教会時代は二千年の期間、すなわち2000年間続きます。 *教会時代は、キリストの十字架と復活後に始まりました。...

聖書預言の未来主義解釈と過去主義解釈

その額には、一つの名がしるされていた。それは奥義であって、「大いなるバビロン、淫婦どもと地の憎むべきものらとの母」というのであった。(黙示録 17章5節) わたしはまた、もうひとつの声が天から出るのを聞いた、「わたしの民よ。彼女<大いなる都、バビロン>から離れ去って、その罪にあずからないようにし、その災害に巻き込まれないようにせよ。(黙示録...

弱さのうちに前進

ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。 だから、わたしはキリストのためならば、弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まりとに甘んじよう。なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。(第二コリント...