手入れの時

ひとしずく 4107-手入れの時 主は、宮に来られた時、鞭をもって両替人を宮から追い出されて宮を清められました。 今も、主は、教会から真のエクレシアを呼び出されてその召しを行わせようとしておられると思います。  そしてその清めの裁きは始まっていると思います。コロナは教会のために用いられたのだと言っている人がいます。  主はこれからの時のためのエクレシアの特別な任務のために備えておられるのだと思います。彼らがその実を結ぶことができるように、手入れがなされているのだと思います。  わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。...

荷物のかたわらにとどまる人たち

十月四日 荷物のかたわらにとどまる人たち (ひとしずく六〇七)  ダビデは自分の主君イスラエルの王サウルの手を逃れていました。それは、サウルが国民の人気を集めているダビデによって自分の王位を失ってしまうことを恐れていたからでした。 ダビデはもはや逃げ場がなく、手勢わずかの軍と共にサウルの敵であるアキシ王(ペリシテの王)のところに身を寄せていまし た。  アキシ王及びペリシテの他の王たちは、イスラエル、つまりサウル王との戦いに、ダビデとその兵士を連れて行くことを許さなかったので、ダ...
モリヤ山で

モリヤ山で

信仰によって、アブラハムは、試錬を受けたとき、イサクをささげた。すなわち、約束を受けていた彼が、そのひとり子をささげたのである。 この子については、「イサクから出る者が、あなたの子孫と呼ばれるであろう」と言われていたのであった。 彼は、神が死人の中から人をよみがえらせる力がある、と信じていたのである。だから彼は、いわば、イサクを生きかえして渡されたわけである。(ヘブル...

正直さ

 正直さ(ひとしずく 4377) 正直さというと、自分が相手の間違いや嫌なところをなんでもしゃべることだと思っている人がいます。 自分もそうだったと思います。 しかし、それは自分がいかに独善であるかを正直に暴露することになることがあります。私にとってありがたかった正直な言葉は、私の高校の物理の先生の「先生もわからないんだよ」という正直なひと言でした。 私が家出をして、どこに行ったかわからなくて、学校の先生や生徒をさわがせた時のことです。...
うちしおれている者を慰める神

うちしおれている者を慰める神

うちしおれている者を慰める神 (時をこえて-信仰篇 2022.10.10) 愛する娘が入院しなければならなくて、そしてそれがいつ再び会うことができるかわからないと、医師に言われたら、どんなに心が砕けてしまうことでしょうか? 私たちの場合は、そうでした。すべてが突然で、すべて私たちの力の及ばないところで物事が進んでいっているようで、私たちは、何をしたらいいか全くわからない状態でした。...