オーディオクラス

ローカル・エクレシアにおけるメッセージのオーディオ・ファイルです。 

主との歩み、個人的な学び、終りの時の備え、などいろいろなテーマを取り上げたメッセージを録音したものです。(あるファイルは、録音の仕方で雑音があって、聞き取りににくいものもあります。現在改善中です)。 

荒野で

荒野で

主の分はその民であって、ヤコブはその定められた嗣業である。 主はこれを荒野の地で見いだし、獣のほえる荒れ地で会い、これを巡り囲んでいたわり、目のひとみのように守られた。 わしがその巣のひなを呼び起し、その子の上に舞いかけり、その羽をひろげて彼らをのせ、そのつばさの上にこれを負うように、 主はただひとりで彼を導かれて、ほかの神々はあずからなかった。 主は彼に地の高き所を乗り通らせ、田畑の産物を食わせ、岩の中から蜜を吸わせ、堅い岩から油を吸わせ、...

わたしはあなたの戒めから迷い出ません

ギメル あなたのしもべを豊かにあしらって、生きながらえさせ、み言葉を守らせてください。 わたしの目を開いて、あなたのおきてのうちのくすしき事を見させてください。 わたしはこの地にあっては寄留者です。あなたの戒めをわたしに隠さないでください。 わが魂はつねにあなたのおきてを慕って、絶えいるばかりです。 あなたは、あなたの戒めから迷い出る高ぶる者、のろわれた者を責められます。 わたしはあなたのあかしを守りました。彼らのそしりと侮りとをわたしから取り去ってください。...

イエスの平安

イエスの平安

時をこえ 明日がわかるなら 黒い雲が消え去るなら 悲しみ忘れ 微笑むことができる まだ見ぬ明日の 喜びに 時をこえ 明日がわかるなら すべての理由を知るだろう この世の悩みと 涙のその後に 輝く明日が 待っている 明日へと続くこの道を 神の愛は 霧で覆う だから 神の手を握り...

病を通しての恵みの賜物

病を通しての恵みの賜物

だから、わたしたちは落胆しない。たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく。(第二コリント 4章16節) そして、天から賜わるそのすみか(復活の体)を、上に着ようと切に望みながら、この幕屋(肉体)の中で苦しみもだえている。 それを着たなら、裸のままではいないことになろう。 この幕屋(肉体)の中にいるわたしたちは、重荷を負って苦しみもだえている。...そして、肉体を宿としている間は主から離れていることを、よく知っている。 わたしたちは、見えるものによらないで、信仰によって歩いているのである。...

世との関係

世との関係

ヨハネの福音書15章 もしあなたがたがこの世から出たものであったなら、この世は、あなたがたを自分のものとして愛したであろう。しかし、あなたがたはこの世のものではない。かえって、わたしがあなたがたをこの世から選び出したのである。だから、この世はあなたがたを憎むのである。(ヨハネ...

旅人

旅人

これらの人はみな、信仰をいだいて死んだ。まだ約束のものは受けていなかったが、はるかにそれを望み見て喜び、そして、地上では旅人であり寄留者であることを、自ら言いあらわした。(ヘブル人への手紙 11章13節) 愛する者たちよ。あなたがたに勧める。あなたがたは、この世の旅人であり寄留者であるから、たましいに戦いをいどむ肉の欲を避けなさい。(ペテロ第一の手紙 2章11節) しかし、無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである。マリヤはその良い方を選んだのだ。そしてそれは、彼女から取り去ってはならないものである」。(ルカの福音書...

いやす力-パート2

いやす力-パート2

 使徒たちは主に「わたしたちの信仰を増してください」と言った。 そこで主が言われた、「もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この桑の木に、『抜け出して海に植われ』と言ったとしても、その言葉どおりになるであろう。 あなたがたのうちのだれかに、耕作か牧畜かをする僕があるとする。その僕が畑から帰って来たとき、彼に『すぐきて、食卓につきなさい』と言うだろうか。 かえって、『夕食の用意をしてくれ。そしてわたしが飲み食いをするあいだ、帯をしめて給仕をしなさい。そのあとで、飲み食いをするがよい』と、言うではないか。...

いやす力–御言葉の中に

いやす力–御言葉の中に

人を生かすものは霊であって、肉はなんの役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、また命である。(ヨハネ 6章63節) しかしわが名を恐れるあなたがたには、義の太陽がのぼり、その翼には、いやす力を備えている。あなたがたは牛舎から出る子牛のように外に出て、とびはねる。(マラキ...

キリストと共に葬られ、キリスト共に生きる

キリストと共に葬られ、キリスト共に生きる

もしわたしたちが、彼に結びついてその死の様にひとしくなるなら、さらに、彼の復活の様にもひとしくなるであろう。 わたしたちは、この事を知っている。わたしたちの内の古き人はキリストと共に十字架につけられた。それは、この罪のからだが滅び、わたしたちがもはや、罪の奴隷となることがないためである。 それは、すでに死んだ者は、罪から解放されているからである。 もしわたしたちが、キリストと共に死んだなら、また彼と共に生きることを信じる。...