オーディオクラス
主の望まれる一歩
「父よ、みこころならば、どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころが成るようにしてください」。(ルカ22章42節)
真理にあって強い
だから、わたしはキリストのためならば、弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まりとに甘んじよう。なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。(第二コリント12:10)
一つ一つの戦いが勝利につながる
勝ち得てあまりある戦い! それでは、これらの事について、なんと言おうか。もし、神がわたしたちの味方であるなら、だれがわたしたちに敵し得ようか。 ご自身の御子をさえ惜しまないで、わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、どうして、御子のみならず万物をも賜わらないことがあろうか。 だれが、神の選ばれた者たちを訴えるのか。神は彼らを義とされるのである。 だれが、わたしたちを罪に定めるのか。キリスト・イエスは、死んで、否、よみがえって、神の右に座し、また、わたしたちのためにとりなして下さるのである。...
艱難の意味
これらのことをあなたがたに話したのは、わたしにあって平安を得るためである。あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」。(ヨハネ16章33節)...
イエスが救いの神
ヨハネ5章1~16節の補足オーディオ イエスはエルサレムへ行かれるとき、サマリヤとガリラヤとの間を通られた。 そして、ある村にはいられると、十人のらい病人に出会われたが、彼らは遠くの方で立ちとどまり、 声を張りあげて、「イエスさま、わたしたちをあわれんでください」と言った。 イエスは彼らをごらんになって、「祭司たちのところに行って、からだを見せなさい」と言われた。そして、行く途中で彼らはきよめられた。 そのうちのひとりは、自分がいやされたことを知り、大声で神をほめたたえながら帰ってきて、...
暗闇の中での信仰と信頼
主の救を静かに待ち望むことは、良いことである。 人が若い時にくびきを負うことは、良いことである。 主がこれを負わせられるとき、ひとりすわって黙しているがよい。(哀歌 3章26-28節)
くびきを負う
主はおのれを待ち望む者と、おのれを尋ね求める者にむかって恵みふかい。 主の救を静かに待ち望むことは、良いことである。 人が若い時にくびきを負うことは、良いことである。 主がこれを負わせられるとき、ひとりすわって黙しているがよい。 口をちりにつけよ、あるいはなお望みがあるであろう。(哀歌...
限定されている悪魔の力
イエスは答えられた、「本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである。(ヨハネ 9:3)
人に従うより神に従う
...ペテロをはじめ使徒たちは言った、「人間に従うよりは、神に従うべきである。(使徒 5章29節)
歴代誌下20章 賛美の力
...あなたがたの神、主を信じなさい。そうすればあなたがたは堅く立つことができる。主の預言者を信じなさい。そうすればあなたがたは成功するでしょう。(歴代誌下20章20節)