福音を一度も聞いたことのない人はどうなるのか。

https://ichthys.com/mail-heathen.htm

質問 

一度も福音を聞いたことのない異教徒について、先生はどのようにお考えですか。歴史上には、キリストについてまったく知る機会のなかった人々が世界中に大勢いました。そのような人々が救われる道はあったのでしょうか。

返信

いいえ。イエス・キリストへの信仰の従順なしに救われることはありません(ヨハネ14章6節)。あなたの質問の要点について言えば、それは結局のところ、あなたが神をどれほど偉大なお方として考えているかにかかっていると思います。一瞬にして宇宙を創造し、その宇宙をご自身のみこころによって保ち、初めから終わりまでを計画し、現実に起こるすべてのことも、起こり得るすべてのことも知っておられる神が、ご自分で造られた有限な被造物である、ほんのわずかな有限の人間の行動を、あらかじめ見通すことができないでしょうか。私は、そのようなことは神にとっては実にたやすいことだと信じています。詩篇19篇ローマ1章19-20節ローマ10章18-21節参照)が教えているように、すべての人は神について知っています。多くの人が、神の栄光を朽ちるものと取り替えたり、あるいは「自分は神など初めから知らなかった」と言い張るようになったとしても、神がすべての人にご自分を知らせてこられたという事実は変わりません。私は、神が、この世の歴史を通して明らかに神を求めようとしなかった無数の人々一人一人に、福音の具体的な内容を必ず届けなければならない責任を負っておられるとは考えません。それは「真珠を豚の前に投げ与える」ことになってしまうからです。

悪しき者は恵みを受けても義を学ばず、正しいことの行われる地にあっても悪を行い、主の威光を顧みない。(イザヤ26章10節

神へ向かおうとする小さな火種があるところには、神は必ずその火を燃え立たせてくださる。私はこのことを固く信じています(箴言2章3-5節参照)。ある勇敢な宣教師が、多くの苦難を耐え忍んで遠く離れた地に福音を携えて行ったとすれば、それは神がその小さな火種を尊ばれた結果なのです。ですから、救われた異教徒は、宣教師の伝道活動によって直接救われたのではありません。むしろ逆なのです。宣教師がその地へ遣わされたのは、神の全知と恵み、そして完全なご計画の結果であり、神が、ご自分を求めようとするすべての人を、一人残らずあらかじめ考慮に入れておられたからなのです。神は、人間の哲学的な理屈や、「もしこうだったら」という最悪の仮定によって制限されるお方ではありません。神は真実なお方であり、いつの時代もそうであられました。このことは信仰によって受け入れなければなりません。しかし、それを信じるなら、この問題だけでなく、信者の人生のあらゆる問題においても、霊的にすばらしいことが起こります。神は、私たちには到底考えも及ばず、信じ難いと思えるような方法で、福音を聞いたことのない人々に対しても真実に備えをしてくださいます。同じように神は、私たちの人生においても、不可能を可能にし、存在しないものを創り出し、のろいを祝福へと変えてくださるのです。目に見えるものを超えて神を信頼する者のために、そのようなことを現実になさるのです。神の備えを必要とし、それを神に信頼して求める者は、真実において決して乏しいことがありません。また、救いのためであれ、霊的成長のためであれ、神を求めた者は、だれ一人として、自分の願いや思いをはるかに超える豊かな備えを拒まれたことはありません。神ご自身――神が真にどのようなお方であるか――それこそが、あなたの質問への答えであり(そして、知る価値のあるすべての問いへの答えでもある)のです。

あなたのみ名を知る者は、あなたに信頼します。主よ、あなたはあなたを求める者をお見捨てになったことがありません。詩篇9篇10節・NIV)

参考までに、Ichthys に掲載されている次の資料もご覧ください。

あなたのお役に立てば幸いです。

キリストにあって。

Bob Luginbill