七十週の預言
ロバート・D・ルギンビル博士著
からの抜粋翻訳
質問 #23:
親愛なる友よ、お祈りと励ましを本当にありがとうございます! そして、あなたのほうでも良い知らせがあったと聞いて、とてもうれしく思います!
私は今、ダニエル9章の七十週の預言を理解しようとして苦労しています。このことについてグーグルで検索してみたのですが、先生に質問を書いている方々の多くは、この預言の基本的な意味はすでに理解していて、細かな点をさらに掘り下げるために質問しているように思えました。問題は、私は人生の大部分を信者たちとの交わりのないまま過ごしてきたため、この預言についてまったく知識がないということです。ですから、この点については、私をまったくの初心者だと思って説明していただく必要があります。私は、この預言が預言であること、そして他の多くの預言と同じように、近い将来についても終わりの時についても扱っていることは理解しています。また、「週」が「年」を表すことがあるということも理解しています。しかし、それ以外は本当に混乱しています。
この預言について混乱するのは、ごく普通のことなのでしょうか。どうか、この点については優しく教えてください。私は今、アンガー(Unger)の注解書を読んでも理解するのに苦労しています。この預言はあまりにも有名なためか、どの注解書も、読者がすでに多くのことを知っているものとして説明しているように思えるのです。どうか、私がこの預言について何も知らないものとして説明してください。そして、その説明をさらに一段階やさしくしていただけると助かります!
前もって感謝いたします、友よ!
イエス・キリストにあって
回答 #23:
どういたしまして。
七十週についてですが、まず、この箇所の私の詳しい訳をご覧ください(『来たる艱難期』第3部B「反キリストとその王国」〔リンク参照〕に掲載されています)。
(24) あなたの民とあなたの聖なる都について、七十週が定められている。それは、背きを終わらせ、罪を極みにまで至らせ(すなわち、背教をその極点にまで達せさせるため)、不義のための贖いを成し遂げ、永遠の義をもたらし(すなわち、キリストの救いのみわざ)、幻と預言を確証し、至聖所に油を注ぐためである(すなわち、御国の到来のためである)。(25) それゆえ、知り、悟りなさい。エルサレムの再建をやめさせる命令が出された時(紀元前485年頃:エズラ4章6-23節)から、エルサレム再建のための命令が出され(その四十二年後、紀元前443年頃に始まり、完成までさらに七年を要した。参照:エズラ7章11-28節、ネヘミヤ1~6章)、油注がれた君(メシヤ)に至るまで、七週(すなわち、この命令から再建までの期間)と六十二週(すなわち、再建から紀元前2年頃のキリスト誕生までの期間)がある。(25後半) エルサレムは広場(すなわち、居住地区の再建)と城壁(すなわち、軍事施設の再建)をもって再建され、人が再び住むようになる。しかし、それは困難な時代の中でのことである(例えば、アンティオコス・エピファネスによる占領の時代のように)。(26) そして、その六十二週の後、メシヤは断たれ、何も受けることなく去る(参照:イザヤ53章8節)。また、やがて来る君(すなわち反キリスト)の民は、都と聖所を破壊する。彼の終わりは洪水とともに来る(すなわち、ハルマゲドンにおいて彼の軍勢が「押し流される」こと。ダニエル11章22節、ナホム1章8節に用いられている同じヘブル語「 שׁטף sheteph シェテフ(洪水)」を参照)。その終わりに至るまで戦いが続き、荒廃が定められている。(27) 彼(すなわち反キリスト)は、その残された一週(すなわち、第七十週、艱難期)の間に、イスラエルの有力者たちと契約(ヘブル語「 ברית beriythベリース/ベリート(契約/または協定)」)を堅く結ぶ。しかし、その週の半ば(すなわち、艱難期の中間点の直前)に、いけにえとささげ物をやめさせる(すなわち、モーセとエリヤを取り除き、神殿の儀式を中断させる)。そして、彼の忌むべき行いが極みに達するゆえに、彼は荒廃(すなわち、神からの離反と断絶)をもたらし続ける。そして、定められた終わりが、この荒廃の体現者であり、その原因となる者(すなわち、神からの離反と反逆を助長する獣)に注がれるまで、それは続く。(ダニエル9章24-27節)
したがって、この七十週(文字どおりには七十の「七」ですが、「七」は七日から成る「一週」を意味することもあります)は、メシヤの到来までのユダヤ民族の残された歴史を示す、一種の年表です。ご指摘のとおり、これらの週の一日が一年を表しています。したがって、ここに示されているのは、ユダヤ時代の最後の四百九十年間であり、この預言が与えられた時点以降の預言的未来において、何が起こるのか(大まかに言えば)を私たちが知ることができるように示されているのです。「七年を一単位とする『週』」という表現が用いられている理由は、最後の「一週」が艱難期の七年間を指しているからです。
保守的な(つまり、「聖書を信じる」)聖書解釈者たちのほとんどは、この最後の点、すなわち最後の一週(七年間)が実際に艱難期であるという点について一致しています。この期間がおよそ七年間続くことは、上で「その週の半ば」に始まるとされている大艱難期が、聖書の他の箇所でも常にそのように描かれていることから分かります(リンク<リンク先ファイルの255頁/あるいはA5版印刷本「来たる艱難期第3部A:艱難期の始まり」の255頁-「四十二ヶ月」を>参照下さい)。意見の相違があるのは主として、残りの四百八十三年をどのように理解するか、特に「七週」と「六十二週」との区分をどのように解釈するかという点です。上の括弧内で示した解釈は、Ichthys独自のものですが、それはヘブル語本文を非常に注意深く詳細に研究し、それを当時の歴史的事実と比較検討した結果に基づいています。私は、この解釈が正しいことを確信しています。しかし、たとえこれに同意しない方がおられたとしても、六十九週について本当に重要なのは、それがキリストの第一降臨以前のユダヤ時代の期間を明らかに表しているということです。そして、その後に残る第七十週が艱難期となります。ただし、それは預言上の時間においては、その前に奥義の時代、すなわち現在私たちが生きている教会時代(もっとも、ラオデキヤ時代の「終盤」にありますが)が挿入された後に続くことになります。この点についても、保守的な聖書解釈者の大多数は一致しています。これらの事柄について深い理解を持たない英語の読者にとって混乱しやすいのは、ダニエル9章26節で理解しなければならない時間的な中断です。
「そして、その六十二週の後、メシヤは断たれ、何も受けることなく去る(参照:イザヤ53章8節)……[中断<訳注:その後の預言全体に教会時代という中断期間が挿入されていることを強調するために、著者はここに[BREAK(中断)]を挿入しています>]……そして、やがて来る君(すなわち反キリスト)の民は、都と聖所の両方を破壊する。」
ここでの「中断」とは、教会時代、すなわち奥義の時代のことです。この時代は、後から振り返るとユダヤ人の祭儀暦の中にも見ることができます(リンク<リンク先ファイルの31頁-/あるいはA4版印刷本「サタンの反乱」の368頁-を参照下さい)。また、それは第五千年日と第六千年日によっても表されています(リンク<リンク先ファイルの31頁-/あるいはA4版印刷本「サタンの反乱」の368頁-を参照下さい)。ご存じのとおり、私は、教会時代は艱難期、すなわちユダヤ時代最後の七年間が始まる前に終わるのではなく、むしろ両方の時代が最後の時期、すなわち再臨の直前に重なり合って並行して進むと考えています。このように考える理由は数多くあります(リンク<リンク先ファイルの100頁-/あるいはA4版印刷本「サタンの反乱」の439頁-を参照下さい)。実際上、この見解によれば、艱難期は2033年ではなく、2026年に始まることになります(これは、主の十字架と復活を紀元33年とする年代に基づいています)。その理由の一つは、もし教会時代が完全に終わってしまっているのであれば、その最後の七年間に教会時代の信者たちがここで何をしているのかを説明することが非常に難しいと思われるからです。しかし、新約聖書全体を通して、私たちはキリストの再臨を待ち望むよう教えられているのですから、私たちがそこに存在していることは明らかです。また、次の箇所もあります。
私たちは、兄弟たちよ、私たちの主イエス・キリストの来臨〔第一章3-12節で論じたこと〕と、その来臨の時に私たちが復活して主のみもとに集められること(参照:第一コリント15章51-54節)についてお願いします。主の日がすでに来たなどと言って、霊によってであれ、語られた言葉によってであれ、あるいは私から来たかのような手紙によってであれ、そのような「新しい情報」がもたらされたとしても、それによってあなたがたが正しい理解からたやすく動揺したり、真実であると知っているはずのことについて疑いを抱いて心を乱されたりすることがないようにしなさい。だれにも、どのような方法でも欺かれてはなりません。なぜなら、背教〔艱難期前半に起こる信者たちの大規模な離反〕がまず起こり、不法の者〔反キリスト。これもまた艱難期の中で起こる出来事〕、すなわち「あの滅びの子」(すなわち、滅びによって特徴づけられ、滅びをもたらし、自らも滅びに定められた者)が現れなければ、〔第二再臨は〕来ないからです。彼は、すべて神と呼ばれるもの、また礼拝されるものに反対し、自分をそれらの上に高く上げ、ついには神の宮に座して、自分こそ神であると宣言します。私がまだあなたがたと一緒にいた時、これらのことを話していたのを覚えていないのですか。(第二テサロニケ2章1-5節)
上の箇所は、私たち信者がその最後の七年間にもなおここ地上にいるのでなければ、説明することが難しいと思われます。そして、もし私たちが地上にいるのであれば、終わりまで私たちの内に住み続けてくださる御霊の時代、すなわち教会時代が、もはや存在しないと言うことも説明が困難になります。ですから私にとっては、教会時代最後の七年間とユダヤ時代最後の七年間、すなわち第七十週である艱難期とは、互いに重なり合っていると理解することが最も自然なのです。
また、この預言をダニエルに伝えるために遣わされた御使いが、ダニエルの祈りに応えて語っていることも覚えておくことが重要です。その祈りは、ダニエルがエレミヤに与えられたイスラエル荒廃七十年の預言を理解したときにささげられたものでした(ダニエル9章2節。参照:エレミヤ25章11-12節, 29章10節)。ダニエルは主に回復を願い求めました。そして、この新しい預言によって、彼はその回復の諸段階(すなわち、「七週」の前後に起こる出来事)と、メシヤが来られるまでの期間(さらに続く「六十二週」の後)を理解するようになります。それとともに、主が天に昇られた後、預言上続いて起こる艱難期についても、非常に詳細な情報が与えられました。……もっとも、その間には教会時代という奥義が挿入されることになります(このことは、ダニエルにさえまだ理解するようには示されていませんでした。参照:第一ペテロ1章10-12節。また、BB 6B「The Mystery Age and the Mystery Complement(奥義の時代と奥義の補完)」のリンクもご覧ください)。例えば、ダニエル9章27節では、「荒らす忌むべきもの」がエルサレムの神殿に据えられることによって、第七十週がその中間点で二つに分けられていることが分かります。そして、その時に大艱難期、すなわち四十二か月、言い換えれば第七十週(艱難期全体)の後半が始まります。ダニエルがここに記していることは、正しく理解するならば、これらの出来事について聖書の他の箇所に記されているすべての情報と完全に一致しています。
このように、預言の中には複数の適用を持つものもありますが、この預言は、ダニエルと、その後メシヤが来られるまでの人々にとっての「近い将来」に関するものだけに適用されます。そして、最後の一週は、私たちにとってもなお将来の出来事に関係しています。
この問題に関連して、次のリンク<英文>も参考になるでしょう。
以上の内容について、どの点でも結構ですので、どうぞ遠慮なくまたお便りください。
私のためにもお祈りくださり、ありがとうございます、友よ!
イエス・キリストにあって
ボブ・L