惑わされないように–まず背教
そこでイエスは答えて言われた、「人に惑わされないように気をつけなさい。
(マタイ 24章4節)
そのとき人々は、あなたがたを苦しみにあわせ、また殺すであろう。またあなたがたは、わたしの名のゆえにすべての民に憎まれるであろう。 そのとき、多くの人がつまずき、また互に裏切り、憎み合うであろう。 また多くのにせ預言者が起って、多くの人を惑わすであろう。(マタイ24章9-11節)
だれがどんな事をしても、それにだまされてはならない。まず背教のことが起り、不法の者、すなわち、滅びの子が現れるにちがいない。
(第二テサロニケ2章3節)
この巨大な龍、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれ、全世界を惑わす年を経たへびは、地に投げ落され、その使たちも、もろともに投げ落された。
(黙示録 12章9節)
ここに、神の戒めを守り、イエスを信じる信仰を持ちつづける聖徒の忍耐がある」。 またわたしは、天からの声がこう言うのを聞いた、「書きしるせ、『今から後、主にあって死ぬ死人はさいわいである』」。御霊も言う、「しかり、彼らはその労苦を解かれて休み、そのわざは彼らについていく」。
(黙示録14章12-13節)
(4)…また、イエスのあかしをし神の言を伝えたために首を切られた人々の霊がそこにおり、また、獣をもその像をも拝まず、その刻印を額や手に受けることをしなかった人々がいた。彼らは生きかえって、キリストと共に千年の間、支配した。(5)(それ以外の死人は、千年の期間が終るまで生きかえらなかった。)これが第一の復活である。(6)この第一の復活にあずかる者は、さいわいな者であり、また聖なる者である。この人たちに対しては、第二の死はなんの力もない。彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストと共に千年の間、支配する。(黙示録20章4-6節)
いったい、キリスト・イエスにあって信心深く生きようとする者は、みな、迫害を受ける。 悪人と詐欺師とは人を惑わし人に惑わされて、悪から悪へと落ちていく。
(第二テモテ3章12-13節)
聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。 それによって、神の人が、あらゆる良いわざに対して十分な準備ができて、完全にととのえられた者になるのである。
(第二テモテ 3章16-17節)
人々が健全な教に耐えられなくなり、耳ざわりのよい話をしてもらおうとして、自分勝手な好みにまかせて教師たちを寄せ集め、 そして、真理からは耳をそむけて、作り話の方にそれていく時が来るであろう。(第二テモテ 4章3-4節) <←教会は艱難期を通過しない、その前に携挙されるからなどと言う教師たちもこれに該当?実際に、天に挙げられる代わりに艱難期に突入した際に、教会とその偽り教師をよりどころにしていた人達は背教に至ることが予想されます。こうした人たちは、聖書の言葉より建物や儀式、社交的な集まり、人の伝統に寄りかかっているので、実際に艱難期に入り迫害が始まり携挙が起こらないと分かった時、信仰を棄てる、すなわち背教に至ることが容易に予想されます。この予想が外れてくれるなら嬉しいですが…>
最後まで
またあなたがたは、わたしの名のゆえにすべての人に憎まれるであろう。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。(マタイ10章22節)
キリストは御子として、神の家を治めるのに忠実であられたのである。もしわたしたちが、望みの確信と誇とを最後までしっかりと持ち続けるなら、わたしたちは神の家なのである。(ヘブル3章6節)
もし最初の確信を、最後までしっかりと持ち続けるならば、わたしたちはキリストにあずかる者となるのである。(ヘブル3章14節)
わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。(マタイ7章21節)
また、からだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、からだも魂も地獄で滅ぼす力のあるかたを恐れなさい。(マタイ10章28節)