嵐に耐え得るために

阪神大震災から24年となりました。そして8年前の東日本大震災から今まで、多くの地震や津波、噴火や洪水に見舞われてきました。聖書の預言によれば、これからますます、こうした自然災害は世界のあちこちで起こってくるでしょうし、自然災害ばかりか、世界の経済や政治も混沌としてくることと思います。

このような変化の波が、自分の身近なところまで迫っているように思うと不安を感じてしまいますが、神の御言葉にある約束を思うと平安が与えられます。

御言葉の力は、魂の安らぎやポジティブな思考、そしてそれに伴う沢山の祝福をもたらしてくれることを、私たちは体験で知っています。動乱と混沌のうずまく環境の中で、ますます必要とされるものは、この御言葉の力です。

私たちは、御言葉の深い学びを通して、真理に浸る必要があると思います。何か問題が起こってから、御言葉の中に慰めや励まし、助言を探し求めるのも必要ですが、問題が起こる前の普段から御言葉に浸り、信仰を強め、そして信仰を行動に移していることが大切であると思います。主は、嵐が来ても、洪水に流されずに立っている建物のようになるには、主の御言葉を聞いてそれを行う者となることです。

それで、わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう。 雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけても、倒れることはない。岩を土台としているからである。 また、わたしのこれらの言葉を聞いても行わない者を、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができよう。 雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしkまう。そしてその倒れ方はひどいのである」。 (マタイ7章24~27節)

積極的に主の言葉を読んだり聞いたり学んだりしながら、主の御心に生きていくなら、もしもの大災害や経済や社会の大変化が起こったとしても、人生の家は洪水に流されることはないでしょう。

災害や変化の物質的な準備をしておくことももちろん必要ですが、それ以上に、邪悪な霊に対して備えておく必要があります。つまり、私たちが神や神の御言葉につながるのを妨げるもの、信仰に背かせ、神ではなく悪霊に従うように誘惑させるもの、神の御心を行うのを妥協させるもの、こうした悪霊の洪水に対してしっかりと立っていることができるように備えることです。

ただ主の御言葉を聞いたり、学んだりするだけではなく、それを行うことです。それが岩の土台です。そしてその上に、確かな家を建てるのです。

御言葉を聞いて行うというステップは、自分個人に語りかけている神の御声を聞いて、自分の置かれている状況の中で、神の御心を見出してそれを実行するということです。そしてそれこそが、襲い掛かる洪水に遭ってもしっかりと立っていることのできる方法であると御言葉が語っています。

主の御声と敵である悪魔の声を聞き分けるために、私たちは、主に祈るだけではなく、御言葉の深い学びに浸る必要があります。そして何が主の御声であるかを見極める力を得るには、日々の御言葉の学びが不可欠です。

仕事や生活に追われ時間がないと言う人もいるかもしれませんが、生命源である御言葉や祈りの時間が取れるように、生活を変えたり工夫したりして、どうにかしてその時間を確保していただきたいと思います。

御言葉の学びが、魂の喜びとなり力となりますように。

神はわれらの避け所また力である。

悩める時のいと近き助けである。

このゆえに、たとい地は変り、

山は海の真中に移るとも、われらは恐れない。

たといその水は鳴りとどろき、あわだつとも、

そのさわぎによって山は震え動くとも、

われらは恐れない。(詩篇46篇1~3節)

わたしはわたしの愛するあなたの戒めに

自分の喜びを見だすからです。(詩篇119篇48節)

悪しき者のはかりごとに歩まず、罪びとの道に立たず、あざける者の座にすわらぬ人はさいわいである。 このような人は主のおきてをよろこび、昼も夜もそのおきてを思う。 このような人は流れのほとりに植えられた木の時が来ると実を結び、その葉もしぼまないように、そのなすところは皆栄える。 (詩篇 1章1~3節)