ヨハネは殺されてから、わかったかもしれませんが、彼は人々の罪を指摘し、悪を正したかったけれども、それはできませんでした。地上に生まれた者で、最も大いなる者と言われた彼も、正義をもたらそうとして首をはねられることになりました。イエス様は、十字架に処刑される前にはっきりと「わたしの国はこの世のものではない」と語られました。
イエスは答えられた、「わたしの国はこの世のものではない。もしわたしの国がこの世のものであれば、わたしに従っている者たちは、わたしをユダヤ人に渡さないように戦ったであろう。しかし事実、わたしの国はこの世のものではない」。
(ヨハネ 18:36)
でも「御心が天になるように、地にもなりますように」とか、「神のみ国はあなたがたのただ中にある」とも主は言われたのに、この地を、この世を見捨てられるのですか??と思うかもしれません。いいえ、主は、世の人々、罪びとを愛して、この地に来られました。罪に満ちて、自分ではどうしようもない人達に手を差し伸べるために来られたのです。
「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世にきて下さった」という言葉は、確実で、そのまま受けいれるに足るものである…
(1テモテ 1:15)
古い世界を一掃する時がやがて来ますが、霊のうちにはすでに新しい世界が築き始められています。ただ神の御国を築くそのやり方は、私達の思ったとおりではないのです。
イエス様がこの地上に来られた時、神のみ国(マタイの福音書では「天国」という言葉が使われています)がこの世に到来したのです。み国は、たった今でも、主のものとして新しく生まれた魂によって築き上げられていっています。
つまり神のみ国は、悪と妥協して罪深い世界を保持しようとしたりするのではなく、新しいものが外から、天からやって来たのです。イエス様ご自身が神のみ国であり、彼を信じる者達が彼と共につくるみ国です。イエス様はそれを一粒の麦とたとえられました。
よくよくあなたがたに言っておく。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。
(ヨハネ 12章24節)
また、それが古い今までのものとちょっとした修正ではない、全く新しいものとなると言われて次のたとえも語られました。
だれも、真新しい布ぎれで、古い着物につぎを当てはしない。そのつぎきれは着物を引き破り、そして、破れがもっとひどくなるから。
(マタイ 9:16)
悪を隠蔽しあったり、どちらも悪を抱えて妥協したり、互いを裁きあったりとか、争いあって欲しいものを獲得するために相手を欺いて滅ぼすとか、そのように力に訴えて繁栄しようとするのが神のみ国でないことは確かです。
そこに、み国の小さな種、からし種みたいにとてもとても小さくても、偽善ではない純粋なみ国の種は、蒔かれて、成長し、増えていくのです。
(イエスは)また言われた、「神の国を何に比べようか。また、どんな譬で言いあらわそうか。 それは一粒のからし種のようなものである。地にまかれる時には、地上のどんな種よりも小さいが、 まかれると、成長してどんな野菜よりも大きくなり、大きな枝を張り、その陰に空の鳥が宿るほどになる」。
(マルコの福音書 4章30-32節)
癌細胞が人体の中で全く異質のものとして、その病巣の世界を広めますが、神のみ国の種も、光の細胞のように、その世界を小さなものから始めて愛の世界を築いていきます。
偽善や権力を使って、世を操ろうとすることについて、イエスは、パン種のたとえを使って警戒するように語られました。それは、一言(ひとこと)の小さな教えかもしれないけれど、それは全体に影響を与えて人の心を穢してしまうからです。
…イエスは彼らを戒めて、「パリサイ人のパン種とヘロデのパン種とを、よくよく警戒せよ」と言われた。
(マルコ 8章15節)
反対に、神のみ国、神の国の真理の教えも同じようにパン種にたとえられ、全体に影響を及ぼします。
…ほかの譬を彼らに語られた、「天国は、パン種のようなものである。女がそれを取って三斗の粉の中に混ぜると、全体がふくらんでくる」。
(マタイ 13章33節)
神のみ国は、新しく神によって生まれた者によって築かれていく神が統治される国なのです。
…彼(イエス)を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。 それらの人は、血すじによらず、肉の欲によらず、また、人の欲にもよらず、ただ神によって生れたのである。
(ヨハネ 1章12-13節)
御子を持つ者はいのちを持ち、神の御子を持たない者はいのちを持っていない。 これらのことをあなたがたに書きおくったのは、神の子の御名を信じるあなたがたに、永遠のいのちを持っていることを、悟らせるためである。
(1ヨハネ 5章12-13節)
神の国は新しく生まれた人達によって築かれるのです。それは罪を抱えた人達が、その罪を隠したり、何とか償おうとしても済まされるものではなかったのです。主には全く新しくする方法がありました。それはご自身の命を罪の贖いのためにささげることによって、人々を罪による呪い、罰から完全に解放するために犠牲になるということによってでした。罪赦された者達、このイエスの愛を受け入れる者達は新しい国の民、神の国の民となったのです。
それが理由で、神の国の中でも最も小さい者でも、この世の者よりも大きい。と語られたのでした。神の国はこれからどんどん栄えていく。イエス様が帰ってきた時に彼を信じる人達は、イエスと共にこの地上を治めるようになる、そういう事も暗に含まれていたのだと思います。
…天の神は一つの国を立てられます。これはいつまでも滅びることがなく、その主権は他の民にわたされず、かえってこれらのもろもろの国を打ち破って滅ぼすでしょう。そしてこの国は立って永遠に至るのです。
(ダニエル 2章44節)
この主のみもとにきて、あなたがたも、それぞれ生ける石となって、霊の家に築き上げられ、聖なる祭司となって、イエス・キリストにより、神によろこばれる霊のいけにえを、ささげなさい。
(1ペテロ 2章5節)
勝利を得る者を、わたしの神の聖所における柱にしよう…
(黙示録 3章12節)
私たちを愛し、その血によって私たちを罪から解き放ち、また、ご自分の父である神のために、私たちを王国とし、祭司としてくださった方に、栄光と力が世々限りなくあるように。アーメン。
(新改訳 黙示録 1章5-6節)
…イエスのあかしをし神の言を伝えたために首を切られた人々の霊がそこにおり、また、獣をもその像をも拝まず、その刻印を額や手に受けることをしなかった人々がいた。彼らは生きかえって、キリストと共に千年の間、支配した。
(黙示録 20章4節)
クラスの終わり
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