主によって力づけられる ひとしずく一六二一
戦いの最中で、意気阻喪しそうに なった時に、もしかしたら、この話が助けになるかもしれません。これはダビデが、遠征に出ていた時、帰ってきたら、自分の家族、また全ての財産が略奪されていた時の聖書の話です。
さてダビデとその従者たちが三日目にチクラグにきた時、アマレクびとはすでにネゲブとチクラグを襲っていた。彼らはチクラグを撃ち、火をはなってこれを焼き、その中にいた女たちおよびすべての者を捕虜にし、小さい者をも 大きい者をも、ひとりも殺さずに、引いて、その道に行った。ダビデと従者たちはその町にきて、町が火で焼かれ、その妻とむすこ娘らは捕虜となったのを見た。ダビデおよび彼と共にいた民は声をあげて泣き、ついに泣く力もなくなった。ダビデのふたりの妻すなわちエズレルの女アヒノアムと、カルメルびとナバルの妻であったアビガイルも捕虜になった。その時、ダビデはひじょうに悩んだ。それは民がみなおのおのそのむすこ娘のため に心を痛めたため、ダビデを石で撃とうと言ったからである。しかしダビデはその神、主によって自分を力づけた。
(サムエル記上三〇章一~六節)
妻、子を失うという自分たちに、降り掛かった災いのゆえに、民はリー ダーであるダビデを殺そうとさえ考え始めていました。ダビデの心境はどれほど辛いことだったでしょう。きっと、妻や財産、また残しておいた全ての者たちを奪われたことで、驚きと失望が彼を襲ったことでしょう。
ダビデおよび彼と共にいた民は声をあげて泣き、ついには泣く力もなくなった。(サムエル記上三〇章四節)
しかし、彼は「その神、主によって 自分を力づけ」ました。一見、敗北のように見えている状況の中で、奮い立って、信じるという一歩を踏み出したのです。ダビデは、主に尋ねました。すると主は彼らに、その略奪した敵を追いかけるなら、きっと追いつくと語られました。
「追いなさい。あなたは必ず追いついて、確かに救い出すことができるであろう」 (サムエル記上三十章八節)
そして、その通りになりました。全て奪われた者たちは取り戻すことができ、また財産も奪い返すことができました。
そのような万事窮すの中で、彼は主を求めることを忘れませんでした。 自分の目の前にある現実は、泣いても泣ききれないものでした。彼は失望し、また仲間からの失望で、命を落としかねない状況にありました。しかし、ダビデは失望に留まることなく、主を呼び求めたのです。そして神は、彼の失意の感情とは、全く異なる導きの声をもって語り、彼を力づけ、ダビデたちは、捕虜となった自分の妻や子供たち、そして同胞たちを奪い返す事ができたのでした。失意の内に留まっていたなら、叶わぬことだったでしょう。
私たちの人生にも、ダビデほどではないにしても、突然、思いがけないことが起こり、失望したくなる時があります。しかし、その時、失望に留まるか、立ち上がって神の御許に行くか、そこか大きな分かれ道になるのだと思います。
どんな状況をも変えることのできる方、そして、決して私たちを見捨てない方が、いつも私たちと共にいてくださっています。ですからどうか、大変な状況に置かれた時には、この現実を忘れずに、悲惨で、どうしようもない状況に引き下げられて沈んでしまうのではなく、神の語られる希望を与える御声に耳を傾けることができますように。そして、「主によって自分を力つける」ことができますように!
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