最近、学んでいること  二〇一三年秋 ひとしずく一二八六

 預言、賛美、祈り、御言葉、謙遜、愛・・・ これらは、霊の戦いにおける武器だと学びました。

今、それがまさにその通りだとますます実感するようになってきています。 私たちの肉の力では、今起っていることに対応できませんし、神の国を広めることのために何も成しません。神の業は、神の霊が与えてくれるものでしか、成し得ないのです。しかし、残念なことに、私たちの物事に対する反応は、霊のことを肉の力でやろうとしてしまうことです。頭ではわかっていても、いざ、戦いの最中に置かれると、これら一つ一つの学んでいることを実践できないのです。ちょうど、英語を一生懸命、学んでいても、いざ、外国人と話す時には英語が出てこず、結局日本語と手振り身振りで対処してしまうのと似ています。

しかし、かろうじて、不平を言いたい時、思い出して賛美したり、また複雑な問題に遭った時、自分の考えで対処する代わりに、イエス様に預言で尋ねながら一歩づつ従ったりすると、やはり、最後に振り返ってみると大きな違いがもたらされていたと、いうことも何度もあります。

 そんな時、あー、もっとこれらの武器を忠実に頻繁に、自分の生活に役立てなければな・・・.と反省するのです。そうしたら、もっと自分の生活が神の平安と幸福で満たされ、また他の人も恵みに与ることができるのに、と。

 これは今、私の学んでいることです。つまり積極的にそれらの神様が与えてくださった霊の賜物を用いることです。それにより霊の内において、主がもっと介入することができ、また主の御国が繁栄するようにです。

 どうか、このことにおいて私がもっと成長できるようにお祈りして頂けますか?もっと頻繁に、攻撃的にそれらの神様から頂いた霊の武器を用いることができるように。そして、それが私の生活における習慣となり、また熟練した兵士となることができるように。

皆さんのお祈りを感謝します。

あなたがたは、それぞれ賜物をいただいているのだから、神のさまざまな恵みの良き管理人として、それをお互のために役立てるべきである。 

(第一ペテロの手紙四章十節)

いただいた神の賜物を、再び燃えたたせなさい。 

(第二テモテへの手紙一章六節後半)

 

恵みの賜物を、軽視してはならない。            (第一テモテへの手紙四章十四節)

愛を追い求めなさい。  また、 霊の賜物を、ことに預言することを、熱心に求めなさい。 

 (第一コリント人への手紙十四章一節)