神様への感謝  二〇一三年 秋  ひとしずく一二七七

 昨日、バスの窓から雲間から輝く太陽の輝きを眺めていました。

あまりに壮大で、雲の間からかい間見られる澄んだ青空を見ていたら、天の国がそこにある!と叫びたくなるような感動を覚えました。

 他の人もこの光景を見ているんだろうか?気づいているだろうか?

バスの他の乗客に目をやると、皆、携帯やゲームを手にして夢中になっていました。

 彼らにも感動を分け合いたかったのですが、そんな状態だったのでやめました。

 私は一人、その大空に描かれた素晴らしい神のアートを眺めながら、神様って何て凄いんだろうと思っていました。

 最近の異常気象により、各地で多くの被害が起きています。そして私たちは、大雨による洪水、あるいは暑さに悩まされ、毎日のようにその日の天気を嘆いたり、愚痴を言ったりしています。

「いったいどうなってしまったのか!?」「まったく、ひどい!」「狂っている!」などなど。

晴れでも雨でも、毎日、それを言うのが習慣になってしまったかのように、不平不満、愚痴ばかり・・・。

 しかし、雨は、渇いた土を潤し、地面の熱をさましてくれ、太陽も雨と共に大地の恵みを育んでくれているのです。

なのに、かかさず愚痴は言うくせに、感謝の言葉は、つい忘れてしまう・・・。

 もしも雨続きばかりで、低温であるなら、作物は実らないし、トマトも青いままになってしまいます。その雨続きが終わり、 ついに太陽が出てくれた時には、ホッとしますが、照りつける熱さに、すぐにまた不平を言い始める・・・。最近の「狂った天気」について小言を言う私たちは、以前の狂っていなかった時の天気についてどれだけ感謝をしていたかと考えさせられてしまいます。

 神様が時間をかけて、こんなに素晴らしい夕日のアートを空に描いても、携帯やゲーム器から目を離すこともしないで、気づきもしない私たち。

 その他にも、私たちが気づいていない神様からの恵みや愛のメッセージがどれほどあることか・・・。

私は神様にすまない気持ちでいっぱいになり、思わず心の中で、こうつぶやいていました。

「神様、こんなにも自分勝手で、こんなにも無関心で、こんなにもあなたの愛に鈍感でゴメンなさい。それなのに、あなたは忍耐をもって、私たちが必要なものを供給して下さっています。どうか、私の目が開かれ、自然の恵みに限らず、あなたが私の人生でしてくださっている諸々の素晴らしいことに感謝することができるように助けてください」

 主よ、あなたのアートは最高です

 天国を待ちこがれさせる透き通った青

 汚く腐ったものを吹き飛ばしてくれる強い風

寒い時には体を暖め、地上を明るく照らし

野菜や植物を成長させてくれる日の光

 私のために祈り、励まし、助け、支えてくれる尊い人たち

すべてを感謝します。

どうか、不平をつぶやくのではなくて、

感謝と賛美で私たちの口が満たされますように。

この世の暗闇に、何も感謝できるものを見つけられないときには

あなたの支配と統治の時代がもうじきにやってきて

愛と平和と正義が地を治めるようになることを感謝できますように。

いつも喜んでいなさい。

絶えず祈りなさい。

すべての事について、感謝しなさい。

これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。                                                        

(第一テサロニケ人への手紙五章十六~十八節)