選択
モーセの選択 ―バージニア・ブラント・バーグ (アクティベート・リーフ 一三七番より
あなたは、モーセがエジプトを捨てた時にしなければならなかった選択について考えたことがあるでしょうか? その選択こそが、モーセを偉大にしました。ソロモンは知恵によって知られ、ダニエルは幻による啓示、ダビデは詩篇、ペテロはその熱意によって知られていますが、モーセは、自分の下した選択のゆえに偉大だったのです。
ヘブル 十一章で、モーセは神の栄誉殿堂に入った信仰の英雄の 一人として挙げられています。
信仰によって、モーセは成人したとき、パロの娘の子と呼ばれることを拒み、はかない罪の楽しみを受けるよりは、むしろ神の民とともに苦しむことを選び取りました。彼は、キリストのゆえに受けるそしりを、エジプトの宝にまさる大きな富と思いました。彼は報いとして与えられるものから目を離さなかったのです。(ヘブル人への手紙十一章二十四~二十六節 新改訳)
赤ん坊のモーセは、かごに入れられてナイル川の葦の間をただよっていくのをパロの娘に見つけられ(出エジプト記二章一~十節)パロの宮廷で、豊かさと特権の内に育てられました。
けれども、モーセが成人した時、ある選択をしなくてはいけませんでした。自分はエジプト人ではなく、ヘブル人であるのに、エジプトに忠誠を尽くしてパロの冠をかぶるのか、あるいは、自分の民を選ぶのかという選択です。若きモーセにとって、それは危機とも言える選択でした。モーセがどこか小高い丘の上に立つなら、宮殿や都の栄華が 輝いて見えたことでしょう。宮殿は豪華で美しく、すべてモーセが幼いころから慣れ親しんできたものです。それから、南のピラミッドのほうに目をやると、自分の同胞がパロの 奴隷として働き、レンガを作っています。奴隷使用人の鞭に重労働を強いられている同胞を思うと、モーセの心は張り裂けんばかりだったことでしょう。彼らはモーセの同胞でした。けれども、自分がその一人となる選択をするなら、それまでずっと享受してきた快適さや贅沢は捨てて、奴隷のみすぼらしい身なりをし、パロの娘である育ての親を拒まなければなりません。しかし、モーセは選択をしました。「はかない罪の楽しみ(快楽)を受けるよりは、 むしろ神の民とともに苦しむことを選」んだのです。
こうした「罪の楽しみ」は、こうさらっと書かれていると、大した誘惑でもなかったように思えるかもしれませんが、実際にはかなり誘惑的なことでした。当時のエジプトと言えば、地上で最も魅力的な地域だったのですから。穀倉には穀物があふれ、宝庫には、他の国々からの財宝がいっぱい運び込まれ、モーセはそのすべてを相続することもできたのです。
「モーセはエジプト人のあらゆる学問を教え込まれ」(使徒行伝七章二十二節)ていたので、地上最強の帝国における支配的地位から奴隷に下るという選択の持つ意味をしっかり認識していました。しかし彼は、教育を受け、賢かっただけではなく、将来を見据えることができたので、将来の益のゆえに、今この時の『楽しみ』を犠牲にすることをいといませんでした。「報いとして与えられるものから目を離さなかった」のです。 罪の楽しみはしばしのものでしかないけれども、正しい選択に対する神の報いは永遠であると知っていたからです。モーセは、神の恩恵がなければ、百万長者も貧民に過ぎないことを理解していました。
使徒パウロはイエスについてこう記しました。「主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられた。」( 第二コリント人への手紙八章九節)
モーセも、これと同じ選択をしたのでした。 モーセの選択は、貧困と苦しみ、ひどい屈辱をもたらしましたが、この地上で神の子どものうちの最 も小さき者となっても、天国で永遠に冠をかぶることになるほうが良いという選択をしました。(ヤコブの手紙一章十二節。 黙示録二章十節) 神の子どもたちの側につき、自分も彼らと共に、頭を高くあげて永遠の王の前に立つことにしたのです。
モーセが宮殿の階段でパロに面と向かって話しているところを想像するなら、愚かな選択に思えるかもしれません。しかし、天国の神の御座に至る階段で報酬を 受け取るモーセを想像するなら、それがいかに賢明で栄光ある選択であったかが明らかになります。それを別にしても、モーセはその後、世界史上でも指折りの偉大なるリーダーとなり、彼の影響は今日にまで及んでいます。
今日の多くの人は、選択をする時に近視眼的になってしまいます。現在のことしか目に入らず、今の時のために、将来を売り渡してしまうのです。 自分のものとなりえた報酬が目に入らないからです。
あなたはどうでしょうか? 先見の明がなく、魂の近視をわずらっていて、おもに今の時のために生きているでしょうか? あるいは、神と神の王国を第一に求めた人に対して神が約束されている大いなる報酬に、心や思いを留めているでしょうか?
一時的な楽しみのせいで、神の用意しておられる大いなる報いに対して目が曇っていますか? 永遠の現実というのは、永遠の楽しみです。(詩篇 十六篇一節)
神はあなたを愛し、あなたの人生のために大いなる計画を持っておられますが、選択はあなたに任せておられます。賢明な選択をしましょう。
目がまだ見ず、耳がまだ聞かず、人の心に思い浮びもしなかった ことを、神は、ご自分を愛する者たちのために備えられた。 (第一コリント人への手紙二章九節)
今のこの時の苦しみは、やがてわたしたちに現されようとする栄光に比べると、言うに足りな い 。(ローマ八章十八節)
♪ 時をこえ 明日が見えるなら
黒い雲が消え去るなら
悲しみ忘れ、微笑むことができる
まだ見ぬ明日の喜びに
時をこえ 明日がわかるなら
すべての理由を知るだろう
この世の悩みと 涙のその後に
輝く明日が待っている
明日へと続くこの道を
神の愛は霧で覆う
だから神の手を握り
ただ信じ従えば
神は夜明けへと導く ♪
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