ペテロの手紙 #10 

霊的成長入門 

ロバート・D・ルギンビル博士著 

https://ichthys.com/Pet10.htm

復習: 前回のレッスンでは、ペテロが第一の手紙の冒頭で、すべてのクリスチャンの人生に三位一体の神のすべての位格が密接に関わっていることを読者に思い出してもらいました。初期のクリスチャンたちが直面していた困難な状況は、彼らに大きな不安を与えていましたが、ペテロは、くじけるのではなく、「信仰の視点」から自分たちの状況を見るべきだと示唆しています。 

信仰の視点: 世間から見れば、これらの哀れな一世紀の者たちは落ちこぼれで、敗者でした。しかし、「信仰の視点」から見るなら、世間とは全く異なる物語が明らかになってきます。神の目から見れば、これらの信者たちはみな勝者であり、現世での多大な祝福と、来たるべき世での計り知れない祝福のために、神によって特別に選ばれたのです。 

キリストを信じることによって、彼らは神の御計画の不可欠な部分となり、その一人ひとりの人生のための個別の計画は、人の知覚ではとうてい知りえない方法で、彼らをいやおうなく前進させていたのです。人々がキリストを信じるに至る、それぞれの状況を、御父が注意深く監督しておられるのを<この世の>誰が知り得たでしょうか。聖霊によって人々が神の家族に受け入れられたこと、あるいは、彼らが信じたキリストの御業に基づいて彼らの罪が赦されたことを、<この世の>誰が理解できたでしょうか。世にはわかりませんでしたが、彼らは神の子となり、神のすべての約束を受け継ぐ者となったのです。 

しかし、彼らのための神の御計画は、彼らがクリスチャンになった途端に完成したわけではありません。彼らは、神がそれぞれに定められた使命と目的を達成するために、この世に留まらなければならなかったのです。信者一人一人に対する神に定められた演ずべき私たちの役割は様々ですが、神の御計画の本質と私たち一人一人に対する神の基本的な目的は同じです:霊的に成長し、他の人々が同じように成長するのを助けることです。 

他の人が霊的に成長するのを助けることは「ミニストリー<働き/奉仕/伝道>」と呼ばれます。イエス・キリストを信じる者として、私たちは皆、何らかの形で主の奉仕者であり、どれだけ進歩を遂げて霊的に成熟しても、神は私たちに他の人の成長を助ける機会を与えられます。例えば、クリスチャンの友人や隣人には、時々励ましや援助を必要としている人がいます。彼らを精神的、肉体的に助けるため、手を貸すことによって、私たちは霊的成熟という共通の目標への道を歩むことになります。一般的に言って、私たちが霊的に成長するにつれて、私たちの個々の働きは、より具体的で、より効果的なものになってきます。 

教会や仲間のクリスチャンに対する通常の助けやサポートに加えて、私たちは皆、キリストを救い主として受け入れた時に、聖霊によって特別な霊的賜物を与えられます(第一コリント12章11節)。これを、信者の成長を助けるために必要なある種の仕事に対する「霊的適性<素質>」と考えるとよいでしょう。例えば、すべての人が宣教師に向いているわけではありません。しかし、神はこの賜物を私たちの中に散りばめておられ、この賜物を持つ信徒が霊的に成長し、自分の特別な宣教分野は何だろうかと考え始めると、自然に自分の霊的才能があるところ、この例で言えば奉仕の場に引き寄せられるのです。ここで強調しておきたいのは、霊的賜物が正しく機能するには、事前の霊的成長が必要であり、自分の賜物を正しく識別するにも時間と成長が必要だということです。 

さらに、賜物の中には、それを効果的に用いる前に特別な訓練や準備を必要とするものもありますが、キリストの体(すなわち、教会全体)が、そのすべてのメンバーとそのすべての賜物を必要としていることを忘れてはなりません。パウロはコリントの信徒への手紙第一12章12-31節でこのことを述べており、教会が正しく機能するためには、人間の体が目と耳だけでは全く機能しないように、すべての部分が必要であることを説明しています。 

個人のミニストリーについて覚えておくべきもう一つの重要なことは、この世の基準では測れないということです。私たちが天に召されたとき、現代の有名な(そして自己宣伝的な)ミニストリーのいくつかが、実は主のためにほとんど何も成し遂げていないことを知り、おそらく驚くことでしょう。パウロは、「さまざまな賜物…さまざまな働き…さまざまな務めがあるが、しかし、すべての人において、すべてのことを行なっておられる同じ神」(第一コリント12章5-7節)が存在することを私たちに思い起こさせています。) これは特に、私たちが霊的賜物を選ぶのでもなく、神が下さった賜物に私たちが特定の宣教形態を選ぶのでもなく、最終的にまた宣教結果を私たちがコントロールするのでもないということです。私たちは皆、主のぶどう園で労苦しているのであり、主は私たちの労苦の実を増やす責任を負っておられるのです。私たちの努力は、世間からはちっぽけで取るに足らないものに見えるかもしれませんが、それが本当に神に喜ばれるものであるなら、神がほとんど関与していないような大げさな広報活動よりも、神と神の御計画にとってはるかに重要なのです。私たちがより成熟したクリスチャンになるにつれて、個人的なミニストリーの効果も高まることが期待できます。効果的な個人的ミニストリーの鍵は、個人の霊的成長です。では、どうすれば成長できるのでしょうか? 

ペテロは手紙の冒頭で、私たちが神の家族に選ばれたこと(選び)について、読者に三つの説明をしています(神の計画の段階についての詳しい説明は、ペテロの手紙シリーズ#3を参照してください:第1段階:救い/キリストへの信仰、第2段階:時間/霊的成長、第3段階:永遠/復活と報い):  

– 御父は私たちの救いを取り計られ(予知) 

– 御霊が救いの働きを管理され(聖化) 

– 御子がその代価を支払い(贖い)、救いのために私たちが信じる対象となられました(キリストへの信仰) 

この三者三様の「分業」は、神の御計画の第二段階(時間の<次元の中にある>信仰者)における、私たちのための三位一体の働きにも現れています。三位一体の各メンバーは、神が私たちのために持っておられる特定の個々の目的を達成するために、私たちを助けてくださいます: 御父は(御父の御計画を通して)悪魔の領域であるここにおいて、私たちの肉体的、霊的な支えを与えてくださいます;イエス・キリストは私たちの指導者であり、ここでの私たちの注目の的であり、十字架上の御業は、私たちが罪を告白するときに、私たちを罪からきよめ続けてくださいます; 聖霊は、私たちが神の真理を学び、それを用いること(これが霊的成長の本質です)を助けてくださいます。第一ペテロと第二ペテロの大部分は霊的成長に関して扱っているので(そして、その基本的な教理についての理解を前提としているので)、この時点でこの事に関して時間を費やすには適切でしょう。これからのレッスンで、この「サポート・パッケージ<三位一体の働き>」を詳しく調べていきますが、ここで簡単な要約を挙げると: 

父: ロジスティックス 

a. 肉体的なもの:私たちがこの世で生きていくために必要なすべてのもので、神が私たちに与えてくださったもの(例えば、衣食住とそれらを提供するために必要な仕事、命にかかわる状況での保護)。 

b. 霊的なもの:私たちが霊的な潜在能力を発揮し、神が私たちのために意図された霊的な成長と宣教を成し遂げるために必要なものすべて(例:聖書、伝道、教会、教師、賜物、学びの機会、適用の機会、宣教の機会)。 

御子: リーダーシップ 

a. イエス・キリストの御業(十字架上で私たちの身代わりとなることによって、イエス・キリストは私たちを神の怒りから救い、私たちの救いを可能にしました。)  

b. イエス・キリストというお方(主イエス・キリストは私たちの愛の対象です。主イエス・キリストの生涯は私たちの模範です。主イエス・キリストは私たちが尊敬し、信じる「御言葉」です。つまり、主イエス・キリストについて学び、主のように、主のために生きることを学ぶことが霊的成長です)。 

聖霊: 学び 

a. 聖霊の御言葉の働き(聖霊の働きによってのみ、私たちは神の真理を学び、真に理解することができます)。 

b. 私たちの生活に対する聖霊の働き(聖霊は、私たちが知っている真理を私たちの生活の状況に適用するのを助けてくださいます: 日々のクリスチャンの歩み、そして個人的なミニストリーに欠かせない要素です。) 

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