ひとしずく 4107-手入れの時

主は、宮に来られた時、鞭をもって両替人を宮から追い出されて宮を清められました。

今も、主は、教会から真のエクレシアを呼び出されてその召しを行わせようとしておられると思います。

 そしてその清めの裁きは始まっていると思います。コロナは教会のために用いられたのだと言っている人がいます。

 主はこれからの時のためのエクレシアの特別な任務のために備えておられ、彼らがその実を結ぶことができるように、手入れがなされているのだと思います。

 わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。 わたしにつながっている枝で実を結ばないものは、父がすべてこれをとりのぞき、実を結ぶものは、もっと豊かに実らせるために、手入れしてこれをきれいになさるのである。 (ヨハネの福音書 15章1-2節)

 最近、近所のブドウの木の枝落としを、一緒に助けました。これは、冬の間、余分な枝がついていると雪が積もって、ブドウの木全体を痛めてしまうために、それらの余分な部分を切り落とす必用があったからです。

 もしブドウが痛みが感じるとするなら、それこそ、非常に痛いことだったと思います。主幹以外の枝はほとんど落としました。来年、また実をもたらしてもらうためには、必要な作業だったのです。

 その隣に、ブドウの老木の棚がもう一つあります。もう古くなって実を結ばなくなったものです。このブドウの木の所有者は、その木には、手を触れようともしませんでした。彼は、来年の春には、この木を切り倒す予定だったからです。

 まさにこれは主が私たちの人生になさっていることで、主が手入れされるのは、実を結ばせているものであり、主はさらに実らせるために手入れしてくださっているのだと思います。

 世界は、ますます暗くなりつつあります。世の光が消えようとする中で、主は、暗闇に輝くともしびとして召されている一人ひとりのために特別な清めを、手入れとみ言葉によって、主の愛と恵みによってなさっておられると信じます。

 

 なぜか自分の人生に突然に試練の嵐が起こったとしたら、主には、特別な理由があるに違いないと思います。スズメの一羽の命に父の関心は注がれています。

 二羽のすずめは一アサリオンで売られているではないか。しかもあなたがたの父の許しがなければ、その一羽も地に落ちることはない。 またあなたがたの頭の毛までも、みな数えられている。 (マタイの福音書 10章29-30節)

 私たちを愛してくださっている天の父は、無駄に私たちが試練を通過するようにはされません。それらの試練は訓練であり、手入れであって、もっと実り豊かにするための主のお取り計らいです。主のお気に入りなので、手入れがあります。

 ですから痛みを伴う試練を通過させられているなら、私たちは喜ぶべきだと聖書は語っています。特に、この終わりの時には、主がその信者をその清さにあずからせるための変化に、私たちは翻弄させられているように思える時もあるかもしれませんが、次の聖書の言葉もそんな時の対応の仕方を示してくれます。

低い身分の兄弟は、自分が高くされたことを喜びなさい。

また、富んでいる者は、自分が低くされたことを喜ぶがよい。富んでいる者は、草花のように過ぎ去るからである。

たとえば、太陽が上って熱風をおくると、草を枯らす。そしてその花は落ち、その美しい姿は消えうせてしまう。それと同じように、富んでいる者も、その一生の旅なかばで没落するであろう。

試錬を耐え忍ぶ人は、さいわいである。それを忍びとおしたなら、神を愛する者たちに約束されたいのちの冠を受けるであろう。

(ヤコブの手紙 1章9-12節)

 愛する者たちよ。あなたがたを試みるために降りかかって来る火のような試錬を、何か思いがけないことが起ったかのように驚きあやしむことなく、

むしろ、キリストの苦しみにあずかればあずかるほど、喜ぶがよい。それは、キリストの栄光が現れる際に、よろこびにあふれるためである。

キリストの名のためにそしられるなら、あなたがたはさいわいである。その時には、栄光の霊、神の霊が、あなたがたに宿るからである。 (ペテロ第一の手紙 4章12-14節)

 主は愛する者を訓練し、受けいれるすべての子を、むち打たれるのである」。

あなたがたは訓練として耐え忍びなさい。神はあなたがたを、子として取り扱っておられるのである。いったい、父に訓練されない子があるだろうか。(ヘブル人への手紙 12章6-7節)

肉親の父は、しばらくの間、自分の考えに従って訓練を与えるが、たましいの父は、わたしたちの益のため、そのきよさにあずからせるために、そうされるのである。

すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる。 (ヘブル人への手紙 12章10-11節)

わたしたちの戦いの武器は、肉のものではなく、神のためには要塞をも破壊するほどの力あるものである。わたしたちはさまざまな議論を破り、

神の知恵に逆らって立てられたあらゆる障害物を打ちこわし、すべての思いをとりこにしてキリストに服従させ、

そして、あなたがたが完全に服従した時、すべて不従順な者を処罰しようと、用意しているのである。 (コリント人への手紙第二 10章4-6節)

さばきが神の家から始められる時がきた。それが、わたしたちからまず始められるとしたら、神の福音に従わない人々の行く末は、どんなであろうか。

また義人でさえ、かろうじて救われるのだとすれば、不信なる者や罪人は、どうなるであろうか。

だから、神の御旨に従って苦しみを受ける人々は、善をおこない、そして、真実であられる創造者に、自分のたましいをゆだねるがよい。

(ペテロ第一の手紙 4章17-19節)

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