先日、福島のある友人を訪ねるところでした。何度も訪ねていた友人だったので、私はただナビのスイッチを入れて、その指示に従っていたのです。もうすでに暗くなっていたので、いつもの標識などは見えませんでした。

 進んでいくにつれ、なにか、見知らない感覚の道路を通っている感じがしました。そこで、ナビの地図を拡大地図にしてどこを走っているのか調べました。やはりいつもの道から逸れてしまっているようです。さっきからヘアピンカーブばっかりの道を運転していましたが、これからもヘアピンカーブだらけです。後でわかったのですが、私は裏磐梯山の峠を越えようとしていたのです。霧が出て、暗い中、次から次へのヘアピンカーブです。

 私はちょっと戻ろうかとも思いましたが、ここまで来て戻ったら、友人の家に到着するのがどれだけ遅くなるかわかりません。

 それで、とにかく前進することにしました。

 夜の山道は慣れていますが、霧がかかってくると油断はできません。そんな時に、携帯の電話が鳴りました。車を止めて聞くと、精神の病を持っているある人からの電話です。彼とはあるレストランで知り合ってから、文通したり時々電話で話をしています。「どうしましたか?」と聞くと「調子が悪いんです」私は話を聞く必要があると思いましたが、電波が上手く届かなくて、途切れ途切れです。それで、後でまた電話するからと言って切りました。切った時、もう一人の人から電話が入っていました。私のお世話になった人ですが、病気を抱えていて、終活している方です。この人にも電話しなきゃと思いましたが、電波が届かないならどうしようもない。とにかく、前進することにしました。後でその峠は1400メートルくらいあるところだと聞きましたが、なぜ、よりによって普段あまり電話の来ない人達からこんな時に…と思いましたが、とにかく、エンジンブレーキをかけながらやっと、緩い下り坂になったところで、電話を入れました。話と祈りの後、電話を切りましたが、とにかく電話が通じ、連絡ができたことで、安心しました。

 このことで、主からのレッスンがあるように思えました。これは何よりも私にとってのレッスンなのですが、もしかしたら、誰か同じような(霊的な)状況に置かれてある方にも通じるかもしれないと思って、分け合っています。

 世界が緊迫してく中で、神様の導きの下、色々な召し、チャレンジを受けて立ち上がることは、今まで自分の知らなかった領域に足を踏み入れることで、緊張と、必死さと、間違った判断で命取りになるような状況をクリヤしなければならない場合があると思います。でもそんな時、自分の全神経を集中しなければならない事態の中で、「調子が悪い」と訴えてくる声に遭うかもしれません。自分自身がヘアピンカーブをクリヤしようとしている時、しかも霧と暗さで大変な時、タイミングが最善と思えない時です。しかし、すべてをアレンジして下さっている神のご支配の下に、そうしたことが起こることが許されたことを覚えていると、神の恵みが下ります。

 本当になされなければならないことは神様の御心であって、私が達成しなければならないと思ったり、計画していることではありません。

 たとえそれが大義ある仕事であって、手が離せないように思えても、神がそこにおられるなら、霧の中で、暗闇でも、それに対応することを主が助けてくれる、ということです。結局、電話を通しての話の後、相手の方々も安心されたみたいでした。お祈りの力であったと思いますが。私はどんな時でも力を与えて下さる神により頼むことを学ばせていただいた感じがしました。結局、遅くなりましたが、暖かく迎えて頂いた友人宅でよい交わりを持つことができました。その後、このレッスンがとても私にとって個人的にも意味あるものとなりました。

 イエスにならって、羊飼いのような群れの指導者、あるいは群れの世話をしている方々に、キリストの恵みが豊かにありますように! (私たちは、多かれ少なかれお互いに対して羊飼いのような存在で、助け合うようにできていますね) そして、自信ではなく、信頼の道を歩むことができますように、私たちを助けて下さい!

たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。 (詩篇 23篇4節)

 あなたがたは、これらの小さい者のひとりをも軽んじないように、気をつけなさい。あなたがたに言うが、彼らの御使たちは天にあって、天にいますわたしの父のみ顔をいつも仰いでいるのである。〔 人の子は、滅びる者を救うためにきたのである。〕 あなたがたはどう思うか。ある人に百匹の羊があり、その中の一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、その迷い出ている羊を捜しに出かけないであろうか。 もしそれを見つけたなら、よく聞きなさい、迷わないでいる九十九匹のためよりも、むしろその一匹のために喜ぶであろう。 そのように、これらの小さい者のひとりが滅びることは、天にいますあなたがたの父のみこころではない。 (マタイ 18章10-14節)