聖書の基礎:聖書における必須の教義第6部B:教会論:教会の研究から「使徒行伝の本質」の箇所の抜粋翻訳

https://ichthys.com/6B-Ecclesio.htm#c._The_Nature_of_the_Book_of_Acts_

ロバート・D・ルギンビル博士著

c. 使徒行伝の本質

教会の歴史の中で、使徒行伝を誤って解釈することによって、自分自身や他の人々を迷わすことになったクリスチャンは、聖書の他のどの箇所よりも多いことでしょう。使徒行伝は、イスラエルの時代から教会の時代への移行期に実際に起こったことを歴史的に扱ったものです。そのため、そこには、実際に起こった事とは言え、そのようなことが常にそうである、あるいはそうであるべきだと結論づけることはできない事柄がたくさん書かれています。

私たちの主が語られる時、私たちは主が語られるすべての事が真実であり、「人を教え、戒め、正しくし、義に導く」(第二テモテ3章16節)のに役立つと確信することができます。そして私たちは、主のなさったことはすべて正しいと知っています。ダビデ(あるいは他の預言者)が預言者としての立場で語っている時(例えば、詩篇のどれか)、私たちはダビデが語っていることがすべて預言的であることを知っています。しかし、サムエル記に記されているダビデの行動が必ずしも正しいと結論づけることはできません。正しいかもしれませんし、間違っているかもしれません(ウリヤとバテシバに対する彼の行いの最もひどい失敗が明らかにしているように)。聖書が歴史的状況における人々の言動を記述している場合、何が正しかったかを知るには適切な解釈を必要とします。

これと同じ原則が使徒行伝にも当てはまります。使徒たちは(ダビデがそうであったように)特別な才能を持った人たちでしたが、だからといって、彼らの行いのすべてが正しかったり、正確に見習うべきものであったりしたわけではありません(ダビデの場合以上に)。彼らの行いは間違っていたかもしれませんし(そのような例もいくつかあります)、たとえ賞賛に値するものであったとしても、私たちにとって特定の証明となるようなものや模範となるような価値はないかもしれません。なぜなら、使徒行伝が取り上げている時代は、イスラエルと律法の時代と、新約聖書が完成した教会の時代との過渡期だからです。その結果、この時代に起こった多くのこと(多くの奇跡的な出来事や、移行を助けるための特別な賜物の働きなど)は、たとえそれが実際に起こったことであり、当時としては正しいことであったとしても、繰り返されるべきものではありません。ですから、私たちは使徒行伝に記されている体験から多くを学び、そこからインスピレーションを受けることができますが、そこには、普遍的な原則を引き出して今日の教会に適用してはならない行動や出来事の例が、少なくとも同じくらい多くあります(例えば、聖霊がピリポにしたように、私たちをある場所から別の場所に奇跡的に運んでくれることはありませんし、それを期待したり求めたりするのは間違いです。そして誰かそのようなことを主張する人には、用心すべきです)。

明らかに、世界に対する神の光として、律法と神殿を中心とした国家の統治から、律法に取って代わる新約聖書と聖霊を通して活動する、あらゆる民族から集められた世界的な信仰共同体による異邦人への伝道へと、当時の信者の大部分を占めるユダヤ人共同体が即座に、そして容易に移行することは不可能であり、誰もそれを期待することはできなかったのです。使徒行伝をざっと読んだだけでもわかるように、このことは多くの人々にとって理解しがたいことであり、使徒たちでさえ、この点では険しい学習曲線を登らなければなりませんでした(たとえば、使徒行伝10章にあるように、ペテロは異邦人への宣教を考えるようになるまでに、聖霊によって三回も促される必要がありました)。

さらに、移行期間なしに即座にこのような切り替えを行うには、他の多くのことが欠けており、現実的ではありませんでした。最初の聖霊降臨のその日、イエス・キリストとその教会の神秘の啓示を説明する聖書の重要な部分である新約聖書は、まだ一節も書かれていませんでした。その時点では、イエス・キリストをメシヤとして受け入れたエルサレムの一握りの信者以外のグループや教会は一つも存在していませんでした(使徒行伝1章15節)。そして、その最初のペンテコステの日に集まったこの小さな信徒たちでさえも、御霊が新約聖書の中で啓示しようとしているすべてのことは言うまでもなく、主御自身が直接教えられたイエス・キリストについての教義の深さや必要な教えをまだぼんやりとしか理解していませんでした。簡単に言えば、教会時代が始まったとき、新約聖書が最終的に構成することになる他の祝福された霊感を受けた教義はもちろんのこと、主が宣言された基本的な真理をすべて教え伝えることのできる人は、その時点では世界のどこにもいなかったのです。ですから、使徒たちは、イエス・キリストとその御姿、そして十字架上の犠牲的勝利に関するすべてと、神の民が学び、信じるべき神の真理の残りのすべてを含む福音を世界中に広めるという使命を受けたのですが、彼らもその数少ない仲間も、今のところ、それを行う立場にありませんでした。まだ宣教師もいなければ、宣教師を送り出す人もいなかったのです。

「エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで」(使徒行伝1章8節ルカ24章47節参照)という地理的な進展も必要ですが、それ以上に重要なのは、それを支える啓示の進展、すなわち、私たちの主イエス・キリストと、間もなく完成する新約聖書に含まれることになる新しい教会時代に関するすべての深い真理の啓示がなければならないということです。私たちの誰もが、信者になってから数日で聖書の教えのすべてを学ぶことはないように(実際、学ぶことに終わりはありません-少なくともそうあるべきではありません)、使徒たちとその信頼できる仲間たちも同様に、これらの真理を聖霊から聞き、信じ、十分に消化し、少しずつ実践し始める必要があったのです。御霊の教えにすでに応答しているか、あるいはすぐにそうなるであろう信者は、教会の指導者として進歩するには、話し言葉や書き言葉で彼らを教える者たちよりも速く進歩することはできない、ということです(マタイ10章24-25節; ルカ6章40節)。

必要な数の信仰共同体が生まれるためには、御霊が山を動かすことが必要です。しかし、使徒たちが学び、新約聖書の書物が書かれ、当時のローマ世界にメッセージが広まり、そこから世界中に広まるまでには時間がかかりました。その最初のペンテコステでのペテロのスピーチは、彼が耳にはしていたものの、その時点まではまだ十分に理解していなかった真理を、御霊がどの程度まとめ上げるのを助けてくださったかを明らかにしています。しかし、ここでも(例えば、メシアの到来を予期するユダヤ教の儀式である水のバプテスマ(後述))、また使徒行伝全体を通してもわかるように、彼とユダヤ教のもとで育った他のすべての人々は、御霊によるキリストとの結びつきが伴う他のすべての教理的真理を学ぶために、物事の見解や行動を変化させなければなりませんでした。このことで、私たちにとって意味することは、使徒行伝における成長の経過を記した行動から、今日の私たちの信仰と実践の方法を結論づけないよう、特別な注意を払わなければならないということです。

前述したように、使徒行伝は、聖書のすべての歴史書に共通するように、実際に起こったこと、実際に語られたことを記録しているのであって、現代に生きる私たちがそれに倣うべきか否かをあらゆるケースで語っているのではありません。そのため、使徒行伝に書かれていることが、今日私たちが言うべきことなのか、行うべきことなのかを見極めるには、ある程度の判断が必要です。私たちの主がそれを言われたのなら、それは結構なことです。主は「限りなく」御霊を与えられたので、主のすべての言葉は常に真理でした(ヨハネ3章34節)。使徒行伝が書簡であるなら、それはそれでよいことです。霊感を受けてこれらの書物を書いた使徒たちは、「聖霊に導かれて神から語った」のです(第二ペテロ1章21節,  第二ペテロ3章15-16節参照)。しかし、使徒行伝は年代記であり、歴史的な舞台、つまり特別な過渡期において、人々(信者やその他の人々)が実際に何をし、何を語ったかを私たちのために記しているのです。したがって、個々のケースにおける彼らの言動が、現代の私たちによって繰り返されるべきものであるかどうかを判断するためには、霊的な常識を働かせなければなりません。

キリストは十二使徒全員(十一使徒+パウロ:使徒行伝9章15節参照)を選ばれたのですから、マッテヤの「選出」、それも「くじ引きによる」選出は明らかに見当違いです(例えば、教会時代の信者は決してくじ引きをするように指示されていません)。また、「パリサイ人の一派」であった信徒たちは、使徒行伝15章に至ってもなお、割礼が救いに必要であるという意見を持っており、ペテロとヤコブ、そしてパウロの前で、公然とこの意見を表明していました(使徒行伝15章5節)。(ガラテヤ書全体が明らかにしているように)これは明らかに間違った見解でした。また、エルサレムの信徒たちが非常に特別で厳しい状況下で短期間行ったように、「すべてのものを共有する」ことは、今日のクリスチャンにとって標準的な習慣として推奨されるものではありません。

使徒たちは偉大な信仰者でしたが、人間でした。パウロとバルナバがマルコのことで激論をしたと言われていますが(使徒行伝15章39節)、誰が正しくて誰が間違っていたのでしょうか?結局のところ、パウロでさえ時折間違いを犯しました(御霊の警告にもかかわらずエルサレムへ行くことに固執したように: 使徒行伝20章23節, 21章10節)、後にマルコを尊敬するようになりました(第二テモテ4章11節)。パウロはテモテに割礼を施しましたが(使徒行伝16章3節)、後にその習慣を非難しました(ガラテヤ5章2-4節)。また、ペテロは、聖霊が命じない限り、また、主が異邦人も救われることを教える幻を三度繰り返し与えないと、コルネリオの家に行って福音のメッセージを伝えることはなかったでしょう。だから、使徒言行録10章の時点でも、ペテロはまだ学ぶべきことがあったのは明らかです(ガラテヤ2章11-14節 も参照)。

もちろん、これはこれらの優れた信者たちを貶めるためではありません。彼らは皆、新エルサレムの十二の門の一つに永遠にその名を刻まれることでしょう。しかし、多くの人々が使徒行伝を解釈する方法が根本的に間違っていることを示しています。それだけでなく、使徒行伝は何よりも、イスラエルの時代から教会の時代への移行期を描いた書物です。それゆえ、イスラエルの時代から教会の時代への移行を説明するために書かれた本が、その反対の目的、つまり、移行期の慣習を今日も行うべきことを示唆するためにしばしば用いられているのは、悲しいほど皮肉なことです。

(4)からだは一つ、御霊も一つである。あなたがたが召されたのは、一つの望みを目ざして召されたのと同様である。(5)主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つ。(6)すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのものの内にいます、すべてのものの父なる神は一つである。(エペソ 4章4-6節) 

水のバプテスマの実践は、この原則を説明するのに役立ちます。上記の箇所で、キリストの体である教会は一つ、聖霊は一つ、主イエス・キリストは一つ、救いをもたらす主への信仰は一つ、そして父なる神は一つであるように、教会時代のバプテスマは一つしかありません。新約聖書にある唯一の水の洗礼はヨハネのもので、神の民イスラエル(信者であるはずの人々)にメシアの到来に備えて悔い改めを促すために授けられた儀式です(ルカ1章17節参照)。

わたしは悔改めのために、水で(つまり肉体的に)おまえたちにバプテスマを授けている。しかし、わたしのあとから来る人はわたしよりも力のあるかたで、わたしはそのくつをぬがせてあげる値うちもない。このかたは、聖霊と火とによっておまえたちにバプテスマをお授けになるであろう。 (マタイ 3章11節)(使徒行伝1章4-5節,1章8節参照)

それにもかかわらず、目に見える教会の歴史を通して、多くのグループがこの儀式を続けてきました。一方では、この儀式とそれに関する合意の欠如が最も分裂を招き、他方では、そもそもこの儀式を行う正当な理由と、どのように行うべきかの指針は、主に使徒行伝の一節から得られてきたと言えます[1]

使徒行伝2章38節はその良い例です。ペテロがエルサレムの群衆に水のバプテスマを受けるように指示したとき、ペテロの言動は何も「間違って」いませんでしたが、これが今日の私たちが用いるべきモデルだと考えるのは間違いです。ペテロは、集まったユダヤ人の群衆がイエスを信じ、彼が言っているように「聖霊の賜物を受ける」ために、行い、言っているのです。そこが重要な点です。残念ながら、英語訳では彼の言い回しが少し分かりにくいかもしれませんが、ペテロがこのスピーチをした時、教会時代に入って24時間も経っていなかったという言い訳があったとはいえ(また、洗礼者ヨハネと主の地上での宣教の世代であるユダヤ人の聴衆が、水のバプテスマについてすぐに不信仰にならないようにすることが最善であったとはいえ)、新しい信者や「これから」という信者にすべてを一度に説明することはできません、 使徒たちが手を置くことによって、信じた人たちに聖霊が伝達されることこそ、ペテロ自身がこの箇所で語っているように、この実践の真の意味だったのです。[2]

すると、ペテロが答えた、「(不信仰を)悔い改めなさい。そして、 あなたがたひとりびとりが罪のゆるしを得るために、イエス・キリストの名によって、バプテスマを受けなさい。そうすれば、(信仰の結果として)あなたがたは聖霊の賜物を受けるであろう。 (すなわち、[初期の使徒時代に特有の]洗礼における按手を通して ローマ8章17節参照])。(使徒行伝2章38節)

この解釈は文脈と一致しており、聖書全体が同意しています。水による洗礼はヨハネの洗礼であり、イスラエルにメシアを現すためのものでした。

「わたしはこのかたを知らなかった。しかし、このかたがイスラエルに現れてくださるそのことのために、わたしはきて、水でバプテスマを授けているのである」。(ヨハネ1章31節)

キリストのバプテスマ、つまりキリスト教のバプテスマは、私たちの主が教えておられるように、御霊のバプテスマです(エペソ4章5節参照):

すなわち、ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは間もなく聖霊によって、バプテスマを授けられるであろう」。(使徒行伝1章5節)

使徒行伝の中で水のバプテスマが行われているのは、ざっと読んだ印象とは裏腹に、使徒時代のごく初期に限られています(最後に記録されているのは、パウロの書簡が書かれる前の最初のギリシャ旅行です: 使徒行伝18章8節)、それは過渡的な目的のためだけであり、特にイエス・キリストをその先駆者であるヨハネの有名な働きと結びつけることを意図していました。最後に正当な水のバプテスマが記録されたコリントでさえ、異邦人とユダヤ人が混在していました(ユダヤ人の会堂が最初に伝道された場所です:使徒行伝 18章4節~)。後に、もちろんパウロは、そこでさえもこの習慣に関わったことを後悔しています:

いったい、キリストがわたしをつかわされたのは、バプテスマを授けるためではなく、福音を宣べ伝えるためであり、しかも知恵の言葉を用いずに宣べ伝えるためであった。それは、キリストの十字架が無力なものになってしまわないためなのである。(第一コリント1章17節)

しかし、その世代のユダヤ人、つまり、ヨハネのことをよく知っていたにもかかわらず、イエス・キリストのメシアとしての地位を当初は受け入れようとしなかった人々は、すでに歴史の中に消え去っています。 ヨハネの水による洗礼も、使徒たちが十字架の前後を生きた人々のために、一時的に移行措置として利用したに過ぎません。

(1)アポロがコリントにいた時、パウロは(アジアの)奥地をとおってエペソにきた。そして、ある弟子たちに出会って、(2)彼らに「あなたがたは、信仰にはいった時に、聖霊を受けたのか」と尋ねたところ、「いいえ、聖霊なるものがあることさえ、聞いたことがありません」と答えた。(3)「では、だれの名によってバプテスマを受けたのか」と彼がきくと、彼らは「ヨハネの名によるバプテスマを受けました」と答えた。(4)そこで、パウロが言った、「ヨハネは悔改めのバプテスマを授けたが、それによって、自分の[ヨハネの]あとに来るかた、すなわち、[福音を聞いて]イエスを信じるように、人々に勧めたのである」。(5)人々はこれ[使徒行伝19章4節のパウロの福音の説明を]を聞いて、[直ちに][御霊によって]主イエスの名による<英文は「イエス・キリストの中に入る>バプテスマを受けた。(6)そして、パウロが[御霊を仲介して]彼らの上に手をおくと、聖霊が彼らにくだり、それから彼らは異言を語ったり、預言をしたりし出した。(使徒行伝19章1-6節)

使徒ペテロも、ユダヤ教の背景を持っていたため、異邦人への強力な宣教活動を行うようになるには、聖霊が要求するアプローチの相違点を理解するまでに時間がかかりました。前述の通り、使徒行伝の第10章では、ペテロは三度にわたって劇的な幻を見せられ、聖霊から明確に命じられて初めて、異邦人のコルネリオとその友人たちのところに行って奉仕を行うことを承諾しました。ペテロ自身、この生々しい教訓と命令がなければ、決してそうはしなかっただろうと説明しています。

お招きにあずかった時、少しもためらわずに参ったのは、そのためなのです。そこで伺いますが、どういうわけで、わたしを招いてくださったのですか」。 (使徒行伝 10章29節)

それでも、ペテロは時折、古い習慣に戻ってしまうことがありました(ガラテヤ2章11-14節)。例えば、ペテロと他の十人がユダの代わりにくじを引いたのは確かに間違いでした(使徒行伝1章15-26節)-新エルサレムの門の一つに名前が記される十二番目の使徒は明らかにパウロであり、マッテヤではありません-そして、今日の地域教会が「使徒」を任命するためにくじを引くのも間違いでしょう。聖霊がその出来事を記録したという事実は、私たちがそれを模範として用いることを望んでいるということではありません。このテスト、すなわち、使徒行伝の中で語られたり行われたりしたことが、預言的なもの(私たちの模範となるもの)と見なされるのか、それとも単なる記述的なもの(起こったことは正しく記述されているが、私たちの模範となるものではない)と見なされるのかというテストは、使徒行伝の正しい解釈の核心でなければなりません。

使徒行伝で考慮すべき重要なことの一つは、その状況です。ペテロは、信者ではないユダヤ人の群衆を前にして、メシアの先触れであるヨハネと、メシアの到来に備えるための悔い改めのための水のバプテスマについて知っており、キリストについて知っており、キリストを見たことさえありましたが、まだ信仰をもってキリストに応えていなかったユダヤ人たちが、ペンテコステ以前にも以後にも繰り返されたことのない驚くべき奇跡を目撃した日に、つまり神殿がまだ建っていたときに、使徒たちでさえも、教会の新しい時代が福音を広く異邦人に与え、儀式的なユダヤ教が(神殿が破壊されて)間もなく終焉を迎えるというミステリーをまだ本当に理解していなかった時代だったということです。

適切な解釈とは、このような場合、問題となっている教義上の質問のあらゆる側面について聖書が何を述べているかを検討しなければなりません。つまり、どのような歴史的な行動が描写されている場合でも、その行動の事実を、自動的に永遠に先例または禁止事項として適用することは不適切です。例えば、使徒行伝2章のペテロの演説の背景を考慮に入れないと、今日の状況に関してペテロの言葉を誤解し、誤って適用することになります。ですから、使徒行伝2章38節のペテロの言葉に基づいて、今日の教会にとって水のバプテスマが良い(あるいは必要である)という結論を導き出すことは、自分たちは、キリストを見て拒否し、神殿の陰に立って、来たるべきメシヤを予表しメシヤへの道を備えるためのヨハネの水のバプテスマ(彼らが行ったとされる)に応じることも従事することもしなかったユダヤ人とは違うと主張しているという誤解を招くことになります。

ヨハネの水のバプテスマが短期間継続されたことは、今日では適切ではありませんが、ヨハネとイエスを見たにもかかわらず、これまで拒絶してきた当時のユダヤ人にとっては、短期間ではありましたが、価値があったのです。ヨハネの水のバプテスマの真の本来の象徴は、「悔い改めのバプテスマ」であり、それはメシアがイスラエルに来ようとしていることを予見するものでした。

使徒行伝の言わんとしていることを誤解して、水のバプテスマについて誤った結論を出しているのと同じように、他の多くの問題についても、使徒行伝の本質-そのような誤りを避けるために、私たちに正確に与えられた過渡期の記述-を見ずに、歴史的な行動の記述から信仰と実践の課題を推定して、「教義」を間違って形成しているのです。その多くは、その特別な時代を反映したものであり、繰り返されることを意図したものではありませんでした。

この原則を実証するため、また使徒行伝の箇所を地域教会における誤った実践の根拠として悪用されることを回避するために(この研究の第二節で取り上げるテーマです)、ここでは使徒行伝を章ごとに簡単に検討することが有益です(ただし、時間とスペースが許さないので、網羅的でも包括的でもありません)。そうすることで、使徒行伝全体が、イスラエルと教会の時代の間の特別な移行期に特有の、「一回限り」の出来事や無常で一時的な慣習に満ちていること、そして、この移行を指揮するように任命された人々は、奇跡的にその変化の過程を理解することができたというよりも、いわば「仕事の最中で」、前進しながらその変化について学ぶ必要があったことがわかります。考えてみれば、彼らも私たちと同じように人間であり、現代の私たち信徒も同じように、真理を一つずつ学んでいかなければならないのですから。<「使徒行伝、章ごとの研究」に続く>


[1] マタイ28章19-20節では、主は水について言及しておらず、実際には聖霊の洗礼について語っています。三位一体は決まり文句として挙げられているのではなく、ギリシャ語では「<三位一体>~の中に浸かる」と表現されており、キリスト教徒が聖霊のバプテスマを通して経験する神との実際の結びつきを指しています。このバプテスマを行うよう命じられた弟子たちは、初期の頃は手を置くことによってバプテスマを行っていました(例えば、使徒行伝8章17節)。その後、福音が宣べ伝えられ、受け入れられる時にはいつでも、彼らの肉体的な仲介なしにバプテスマによってこの洗礼が授けられるようになりました(使徒行伝10章44-46節参照)。

[2] 聖書全体が今あるのですから、最終的に真実を見出さない正当な理由はもはやありません。伝統の力がなければ、おそらくほとんどの人は同じ正しい結論に達するでしょう。すなわち、ペテロの目的は聖霊の仲介であり、水は赦しとは何ら関係がないということです。聖書が実際に述べていることに注意深く耳を傾けるだけで、使徒行伝2:38でも「 罪の赦しのために」という言葉は、「イエス・キリストの名によって」という言葉のすぐ後に続いています。ここでも、救いはその名への信仰によってもたらされるのであって、メシアの到来に備えるためのユダヤ教の儀式であるヨハネの水洗礼を行うことではないという疑いはまったくありません(ペテロがこの書の少し後に述べていることを比較してください。使徒行伝10:43 NIV: 「彼を信じるすべての人に、その名によって罪の赦しが与えられる」とあります。 使徒行伝5:31参照) ペンテコステのこの日、この当時のユダヤ人にとって、洗礼者ヨハネがメシアの使者であることをよく知っていた人々にとって、ヨハネの洗礼を受けることは、確かに「イエス・キリストの名によって」ではありましたが、彼らの信仰を実際に示す具体的な行動であったことは間違いありません。しかし、彼らが救われたのは、彼らの信仰によるものであり、恵みによるものであって、水の洗礼を受けるといった行いによるものではありませんでした(そして、そのような必然的なつながりがあると信じていたのであれば、彼らの行いは信仰によるものではなかったでしょう)。そして、ペトロが望んでいたのは、聖霊を受け入れることでした。これは、聖霊が信仰の時点において万人に与えられるようになる(使徒行伝10:35; ローマ人への手紙9:25)前に起こったことでした。まさに使徒たちの権威を確立するために(他の奇跡がそうであったように )水による洗礼(当時、洗礼は一般的に行われていた)を行い、信じた人々に手を置いて、彼らが聖霊を受けられるようにしました(これは彼らにとって経験したことのない出来事でした)。これはその時には、非常に理にかなった行動でした。