人の子

また言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。天が開けて、神の御使たちが人の子の上に上り下りするのを、あなたがたは見るであろう」。

(ヨハネの福音書1章51節)

 これは、ナタナエルの、「先生、あなたは神の子です」という言葉に対して答えられたイエス様の言葉です。「人の子」とはイエス様御自身のことです。

 またイエス様は捕らえられて大祭司カヤパのところに連れて行かれた際、律法学者、長老たちがいる前で大祭司から、「あなたは神の子キリストなのか」と尋ねられ、「あなたの言うとおりである」と答える一方で、御自分のことを「人の子」と言って次のように説明しておられます。

しかし、イエスは黙っておられた。そこで大祭司は言った、「あなたは神の子キリストなのかどうか、生ける神に誓ってわれわれに答えよ」。

イエスは彼に言われた、「あなたの言うとおりである。しかし、わたしは言っておく。あなたがたは、間もなく、人の子が力ある者の右に座し、天の雲に乗って来るのを見るであろう」。

(マタイ 26章63~64節)

このイエス様の言葉は、大祭司らを怒らせました。それは神を冒涜するものであり「死にあたるもの」だと。

すると、大祭司はその衣を引き裂いて言った、「彼は神を汚した。どうしてこれ以上、証人の必要があろう。あなたがたは今このけがし言を聞いた。 あなたがたの意見はどうか」。すると、彼らは答えて言った、「彼は死に当るものだ」。

(マタイ 26章65~66節)

 なぜ、イエス様のこの言葉が神を冒涜することになったのでしょう?実は、大祭司らは、イエス様が、自分はダニエルが預言した「人の子」であると言っていることに気づいたのです。それは次のような預言です。

わたしはまた夜の幻のうちに見ていると、見よ、人の子のような者が、天の雲に乗ってきて、日の老いたる者のもとに来ると、その前に導かれた。 彼に主権と光栄と国とを賜い、諸民、諸族、諸国語の者を彼に仕えさせた。その主権は永遠の主権であって、なくなることがなく、その国は滅びることがない。

(ダニエル書 7章13~14節)

 「人の子のような者」が「天の雲に乗って」、「日の老いたる者」(これは神のことです)の前に導かれた。そして彼に、「主権と光栄と国」が与えられ、「諸民、諸族、諸国語の者」が彼に仕えた…。

律法(旧約聖書)に詳しい彼らは、「人の子」とはメシアのことであると知っていました。ところが、イエス様がそれは御自分であると言われたので、それを信じようとしない彼らは神への冒涜だと怒り、衣を引き裂いたのです。

 この「人の子」による、人類救済の預言は、旧約聖書の初めの書の創世記にすでに、預言されていました。

へび(悪魔)にそそのかされて、人が罪を犯すことになった時、神は、へびに「わたしは恨みをおく、おまえと女とのあいだに、おまえのすえと女のすえとの間に。彼はおまえのかしらを砕き、おまえは彼のかかとを砕くであろう」と言われました(創世記3章15節)。

 この聖句は、旧約聖書にあるメシア(救世主)イエス様に関する350以上ある預言のうちの、一番最初の預言と言われているものです。ここに「女のすえ」とあります。これは女の子孫という意味で、その後にある「彼」とはその女の子孫という意味です。つまりメシアは人から生まれてくるとされているのです。

そのメシアは「悪魔のかかとを砕くであろう」とありますが、イエス様が地上に来られて成し遂げようとされていたことは、十字架の死によって、悪魔が人にもたらした罪の赦しと、人を罪によって支配する悪魔の力からの解放のためでした。

 それは、神である方が人となってはじめて成し遂げることのできることでした。人の罪の赦しの身代わりとなって死ぬことができたのは、人という肉体を持つ、罪のない神にしかできないことでした。それゆえに、神であるロゴス(イエス)が人となって地上に現れる必要があったのです。

 また他の預言書にも、類似した預言が記されています。

それゆえ、主はみずから一つのしるしをあなたがたに与えられる。見よ、おとめがみごもって男の子を産む。その名はインマヌエル(神われらと共にいます)ととなえられる。

(イザヤ書 7章14節)

ひとりのみどりごがわれわれのために生れた、ひとりの男の子がわれわれに与えられた。まつりごとはその肩にあり、その名は、「霊妙なる議士、大能の神、とこしえの父、平和の君」ととなえられる。

(イザヤ書 9章6節)

「…大能の神、とこしえの父..」と呼ばれるようになるひとりの男の子が生まれると、あります。

これは「人の子(メシア)」としての神の御業がなされることになるとの預言、予告ですが、イエス様は、その聖書で言われていたその者であると、御自分についての真実を明らかにされ、大祭司らによって死刑が決定されました。

しかし、その死によって、イエス様が「神の小羊」として、全世界の罪のための身代わりとなるという使命を全うすることになるのです。

神はサタンの策略を使ってさえも、御自分の御計画を成し遂げられます。